宇宙空間で君とドライブを

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  6−9  

 ミンヤンは悲しげに言う。朝乃は両手を頭から離して、彼の顔を見た。
「愛する人を殺してしまうほど、裕也の心は戦場で壊れた。彼は、自身の狂気を止められなかったんだ」
 朝乃は、前に信士から聞いた話を思い出す。ある兵士が、PTSD、――心の病気に苦しんで妻に手をかけた。その話は、朝乃にとって他人事ではなかった。だからあんなに怖く感じたのだ。ミンヤンは静かな調子で語り続ける。
「裕也は戦場で、自分が死ぬのは怖くなかった。そもそも、彼の乗った戦闘機を落とせる人はいない。だが心は、敵機を落とすたびに、――誰かを殺したり傷つけたりするたびに壊れていった。彼は戦場で、心のない殺人兵器であることを強要された」
 ミンヤンの瞳に、深いやみが映る。朝乃はこのやみを、裕也の中にも見た。ミンヤンは、約五十年前の世界大戦に兵士として参加した。そこで大きな戦果をあげて、戦争終了後に世界で初めてSランクの超能力者として認められたのだ。
 ミンヤンと裕也は、似たような境遇なのかもしれない。ミンヤンは裕也について話しながら、自分の過去についても話している。
「裕也は、このまま生きていていいのかと悩んでもいた。強い超能力を持つ彼は、戦場で他の誰よりも人を殺すから。裕也にとって宇宙空間で敵機を撃破することは、ゲームの中でモンスターを倒すことより簡単だった」
 戦場で手柄をあげることは、他者を害することでもある。生きている人たちをつぶしていく。そのことを、過去の裕也も朝乃も分かっていなかった。
 両親のかたきをうつ。戦場で武勲を立てて、出世する。朝乃と、ぜいたくな暮らしをする。そう無邪気に語っていた弟は、もういない。朝乃の知らない間に、一年も前に、彼の心は壊れた。今さら朝乃に、何ができるのか。でも……。
(裕也の心は壊れていない)
 朝乃は、そう確信できた。弟はやみに落ちていないと、自信を持って言える。いや、彼は一度はどん底まで落ちたが、ちゃんとはい上がってきたのだ。
 なぜなら孤児院で再会したとき、裕也は誰に対しても暴力をふるわなかった。彼は朝乃を優しく抱きしめてから、月へ送った。
 前回の夢の中では、裕也と朝乃はたがいの心をつなげた。そのため、朝乃は英語ができるようになった。つまり土下座の後で、朝乃たちは仲なおりをしたのだ。
 おとといにいたっては、裕也は浮舟に来て、朝乃と翠とともに食事をした。途中から号泣していたが。食後は、朝乃は裕也の髪を切った。裕也は、赤ちゃんのいる翠の大きなおなかに、そっと触れた。
(裕也は、危険な人物ではなかった。それどころか、「戦争を終わらせる」というようなことまでしゃべった)
 誰が弟を、安全な少年に戻した? 誰が、朝乃と裕也を仲なおりさせた? そして戦争の終結という目標を与えた? そんなの、彼に決まっている。朝乃は、ミンヤンの穏やかな顔をじっと見た。
「ありがとうございます」
 心から頭を下げる。今、朝乃が生きているのも、裕也が筆不精とは言え、朝乃と連絡を取り合っているのも、すべてミンヤンのおかげだ。
 朝乃の亡命をサポートしたのも、ミンヤンだ。朝乃という人質がいなくなり、裕也は軍から逃げた。そして弟は今、ミンヤンの家に身を寄せているという。
「何とお礼を申し上げればよいか……、今も裕也は、あなたのお世話になっていると聞いています」
 管理局の裏手で誘拐されそうになった朝乃を、裕也が助けられたのも、ミンヤンのおかげだ。彼が朝乃のピンチを、裕也に知らせたのだ。裕也と朝乃にとって、ミンヤンは命の恩人だ。どれだけお礼を言っても足りない。
「朝乃、顔を上げてくれ」
 ミンヤンの少し困った声に、朝乃は顔を上げる。彼はほほ笑んだ。
「私の方こそ、裕也に助けられている。それに彼は、私だけではなく多くの人たちを助けている。これからさき、君の弟は大勢の人たちの希望になるだろう。彼はすばらしい子だ。もちろん君も」
 ミンヤンはお世辞ではなく、本心から言っているように見えた。
「ありがとうございます」
 朝乃はほほ笑んだ。ミンヤンと裕也は、いい関係が築けているのだろう。それから、気になっていたことを聞いてみる。
「裕也とは、いつからお知り合いなのですか?」
 ミンヤンの口ぶりから、彼と裕也は長い付き合いだろう。
「裕也と初めて会ったのは、2219年の六月七日。今から一週間ほど前だ」
 ミンヤンの返答に、朝乃は驚いた。彼は楽しそうに笑う。
「びっくりしたかい? しかし本当のことなんだ。ただ私が裕也の存在を知ったのは、約一年前の、去年の六月二日。彼はそのときアメリカ軍にいた」
 ミンヤンは視線を地球に向けた。北アメリカ大陸が見えた。彼は、つらそうに話し出す。
「夢の中で最愛の姉を殺した裕也の嘆きを、私は受け取った。彼の悲鳴は、遠い中国にいる私のもとまで届いた。それほど大きな慟哭だったんだ」
 朝乃もつらくなる。もし立場が逆で、朝乃が裕也を殺したら、朝乃は正気でいられただろうか。
「私は裕也に、テレパシーで話しかけた。けれど彼は混乱して、私からのメッセージを受け取らなかった。裕也はそのとき、日本にいる君に『助けてくれ』とテレパシーを送り続けていた」
 ミンヤンの言葉に、朝乃はショックを受けた。弟のSOSに、朝乃は気づかなかったのだ。ところがミンヤンは首を振る。
「君が裕也の想いを受け取れなくてよかった、と私は思っている。もし君が裕也からのテレパシーを、――彼のこれ以上なく取り乱した思念を受け取ったら、君たちは共倒れになっていただろう」
 そうかもしれない。朝乃は去年の六月、裕也は日本軍にいると考えていた。超能力者になって、アメリカ軍にいて、心をひどく傷つけているとは想像していなかった。何も知らなかった朝乃が、夢の中で朝乃を殺したばかりの裕也を助けられるとは思えない。
「裕也は荒れていた。髪や爪も伸びて、ナイフで自分の身も傷つけた。私が裕也に初めて接触できたのは、彼の夢の中だ。八月十日のことだった」
 ミンヤンは裕也を救いたかった。だから彼に、いろいろと話しかけた。日本のお盆休みについても話した。なぜなら裕也は、日本のお盆の時期に合わせて長期休暇をもらっていたからだ。
「休暇中、彼は日本の孤児院に帰ることを許可されていた」
 ミンヤンの話に、朝乃はまゆをひそめる。裕也は孤児院に帰ることができたのだ。だが弟は去年の夏、帰ってきていない。なぜ帰省しなかったのか? ミンヤンは、やるせない表情をしている。
「裕也は最初から、帰郷しないと決めていた」
 夢の中で、あれやこれやと話しかけるミンヤンに、裕也はほとんど反応しなかった。しかしミンヤンには、彼の心が読めた。裕也は本当は孤児院に帰って、朝乃に会いたい。
「けれど、夢の中のように君を害するのではないかと不安だった。唯一の家族である君の死は、彼にとって、もっとも避けるべき未来だった」
 朝乃は切なくなって、口をつぐんだ。
「それに裕也は、自傷行為の傷あとを君に見られたくもなかった」
 ミンヤンは、おそらく無意識にだろう、右手で左手首をさすった。そこに傷あとがあるのかもしれない。裕也にもミンヤンにも。
「戦場で人を殺す、戦場以外でも人を傷つける。そんな自分も、君に知られたくなかった。加えて裕也は、自分の顔つきが昔と変わったことを自覚していた。今、君に会っても、君は、目の前にいる人物が弟と分からないと感じていた」
 実際に、朝乃は裕也と孤児院で再会したとき、最初、彼を弟と認識しなかった。その朝乃の態度は、裕也を傷つけただろう。
「君は変わっていないのに、自分は変わった。従軍する前の自分は、――朝乃の弟はいなくなった」
 だから彼はお盆休みに孤児院に帰れなかった、とミンヤンは言う。
「さらに君を、アメリカに呼び寄せることもできなかった。何度も『今、ここに姉がいれば……』と切望しながら、裕也は君を避け続けた」
 朝乃はぎゅっと両手を握った。弟の孤独が伝わってくるようだった。
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