宇宙空間で君とドライブを

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  6−7  

「私と裕也は、深宇宙港へ行ったことはありません。宇宙へ出たこともなかったです。だから、いつか行ってみたいとあこがれていました」
 朝乃の話に、ドルーアは相づちをうつ。朝乃は、ふふっと笑った。
「家族で深宇宙港へ行ったドルーアさんが、うらやましいです」
 今は、深宇宙港はない。星間戦争によって破壊されて、誰も住めなくなった。
「お父さんは宇宙へ出ることが多く、留守がちでした。お母さんは専業主婦でしたが、私と裕也が小学校に上がってから働き始めました。いえ、もともと勤めていた会社に復職しました」
 父と母は同じ会社の従業員で、職場結婚だったらしい。母は職場復帰後、基本的に事務所で働いていた。が、父と宇宙へ出ることもあった。
 両親がそろって家を留守にするときは、朝乃たちは会社併設の託児所に預けられていた。託児所は、ホテルや合宿所のような場所だった。常時、小中学生たちが五十人ほど預けられていた。食堂、大浴場、自習室、卓球台のあるレクリエーションルームなどがあった。
「私と裕也は託児所から会社のバスに乗って、小学校に通いました。託児所のスタッフの方はみんな優しかったです。託児所は結構、楽しかったです」
 朝乃は懐かしい気持ちで、ほほ笑む。
「ただ、親がいないのは心細かったです。でもお父さんとお母さんは、せいぜい三日程度で帰ってきました。あと親はいなくても、裕也がいましたから」
「そうか」
 ドルーアは朝乃の頭をなでた。弟とふたりでがんばったんだね、とほめるように。朝乃は、ドルーアの顔を見る。また彼の話が聞きたかった。ドルーアは、朝乃の視線に気づいてほほ笑んだ。今、すごく彼に甘やかされている。ふたりの心の距離は近い。
「僕の父は……」
 ドルーアは言ってから、軽く息を吐いた。それから静かな調子で語りだす。
「彼は、典型的な人の上に立つ人間、――支配者階級だった。僕も、将来はそうなると思っていた。そして、そうなることを期待されていた」
 朝乃とドルーアの生まれ育った環境がちがうように、朝乃の父とドルーアの父の立場もちがう。ドルーアの父が雇う側なら、朝乃の父は雇われる側だ。
 ドルーアがときおり、世界を支配している王様のようになるのは当然かもしれない。ドルーアは彼の父親と同じく、支配する側の人間だ。対して、孤児の朝乃は支配されるだけの存在かもしれない。けれど多分、ドルーアは朝乃を支配したくない。
「僕はコリント家の長男として、最高の教育を受けていた。ヌールにある名門校に通い、語学も数学も歴史も、ピアノもテニスも、ダンスやチェスゲームでさえ、僕には家庭教師がついた」
 ドルーアは他人事のように話す。彼は英才教育を受けていたのだろう。おそらく、長男として家をつぐために。
「僕の母の優里(ゆうり)は、ヌールではなく浮舟で生まれ育った。父とは、仕事を通じて知り合ったらしい。母は、コリント家のような名家の産まれではなかった。よって父との結婚後、ヌールでの金持ち同士の付き合いに苦労したらしい」
 パーティーだのチャリティーイベントだのに出席し、わが子の学校でも保護者同士の付き合いがある。ドルーアは、産まれたときからそういう環境にいたから、社交がしんどいとは思わなかったが。
「でも友人の誕生日パーティーに参加したとき、母があてこすりを言われているのを聞いたことがある」
 ドルーアは嫌そうに、顔をしかめた。
「母は上流階級の出身ではなく、さらにアジア系だった。有色人種というだけで、母を悪く言う大人たちがいた」
 ドルーアは心配そうに、朝乃を見た。朝乃もアジア系で、差別を受ける側だ。二十三世紀の今でも、人種差別はある。
「母は、僕がヌールの中で、世間知らずのおぼっちゃまに育つことを危惧した。だから、外国への留学を勧めてきた」
 ドルーアは十六才で、中等教育学校に通っていた。母の勧める留学先は、いくつかあった。ドルーアは、母の故郷である浮舟を選んだ。理由は特になく、なんとなく決めただけだった。
「僕は、母方の祖父母である弘とサランの家に暮らし、浮舟の学校に通うことになった。家庭教師たちから解放されて、祖父母にも甘やかされて、僕は朝から晩まで遊びほうけた」
 ドルーアは朝乃の顔を見て、情けなさそうに笑う。
「十七才のときの僕は、バカな子どもだった。エンジェル、今の君の方がずっとしっかりしている」
 朝乃はリアクションに困った。とりあえず首を横に振ったが、ドルーアは苦笑するだけだった。
「授業をさぼったり、友人たちと年齢をいつわってナイトクラブに行ったり、夜通し公園で騒いだこともあったな」
 ドルーアは、ため息をつく。彼は、過去の自分にあきれているようだった。
「僕が遊んでばかりだったから、母とは電話でしょっちゅうけんかした。今までの蓄積があったから、学校の成績はよかったけれど、なんせ素行が悪かったから」
 ドルーアは黙った。言おうか言うまいか、悩んでいる風だった。しかし彼はしゃべりだす。
「そんなとき、僕はジャニスと出会った。彼女はアマチュアの歌手として、小さな舞台で歌っていた」
 ジャニスという名前に、朝乃はどきりとした。ドルーアは、夢見るようなまなざしで語る。
「スポットライトを浴びて人前で歌う彼女は、きれいだった。彼女に才能があるのは、僕にも分かった。そのときのジャニスの歌はラブソングが多くて……」
 過去の話なのに、朝乃の胸は嫉妬で痛んだ。ドルーアは朝乃を見て、気まずそうに口を閉ざす。それから話題を変えた。
「当時は、ほとんどの人が、地球との間に戦争が起きるなんて思っていなかった。すでに地球と月の関係は悪くて、戦争勃発の可能性が高いと警鐘を鳴らす人たちもいたが。だからジャニスも、ラブソングが多かったのだと思う」
 ドルーアは話し終えると、しばらくぼんやりした。彼女のことを思い出しているのかもしれない。
「僕はジャニスを一生、支えたいと思った。彼女と一緒に、歌手になろうとも考えた。そのくせ僕は浮気した。ばれないと思っていた。ばれても、許してくれると。僕は本当に、おろかだった」
 ドルーアの顔がゆがむ。彼は、過去の行いを悔いていた。
「しかも浮気相手は、白人女性だった。僕は母の苦労から、何も学んでいなかったんだ」
 黒人のジャニスもまた、差別を受ける側だ。彼女の目には、ドルーアがレイシストのように見えたのかもしれない。浮気をしただけでも許しがたいのに。
「僕はジャニスを傷つけた。そして、十分な謝罪もしなかった。僕はただ、激怒する彼女のもとから立ち去った」
 ドルーアの横顔も傷ついていた。それが昔、翠が朝乃に話した、ドルーアがジャニスに許してもらいたい過ちなのかもしれない。ドルーアは、神様の前で懺悔(ざんげ)しているようだった。
 朝乃は彼をなぐさめたくて、手を伸ばした。ドルーアが気づいて、朝乃の手を取る。優しく包みこむように、見捨てないでとすがるように。ドルーアは悲しそうに話を続けた。
「ジャニスと別れた後は、バスケットボールに夢中になっていた。学校のクラブに所属して、一年間くらいやっていたかな。バスケをやめた後は、ひとりであちらこちらの月面都市を旅行した。二十都市ぐらい回ったと思う」
 自由気ままに放浪するドルーアに、ついに父親の堪忍袋の緒も切れた。ドルーアは、留学をやめてヌールに帰るように命令された。親からの仕送りもなくなった。
「もともと留学は、一年間だけの予定だったんだ。それが三年ほど、僕はずるずると浮舟にいた」
 ドルーアはもう十九才だった。遊んでばかりでいられる年齢ではなかった。さらにそのころは、どの月面都市に行っても、都市全体がひりひりしているように感じられた。
「感情的に持論を展開する者たちがちやほやされて、賢人たちは口を閉ざす。本当かうそか分からない、あやしげな情報が出回る。そして、地球との戦争に向けて突き進む」
 金と時間に余裕のある若者が、のん気に旅行できる時代は終わったのだ。社会全体が、戦争を覚悟していた。ドルーアはモラトリアムに終わりを告げて、素直にヌールに戻った。
 故郷に戻ったドルーアは、卒業をのばしのばしにしていた中等教育学校を卒業した。卒業後は、父の命令に従って従軍した。その当時は、ドルーアを含め、軍隊に入る若者が多かった。ドラド社の方でも、民間船より軍用船の製造に重きを置いていた。
「軍用船、――要は軍艦、宇宙戦艦だね」
 ドルーアは補足説明をする。
「僕は一年間ほど宇宙軍で過ごしてから、ドラド社に入り、軍用船を作って売る側に回る予定だった。けれど、うまくいかなかった。僕を取り巻くすべてが、僕と歯車が合わなかったんだ」
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