宇宙空間で君とドライブを

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  6−6  

 朝乃の知らない間に、ドルーアはタクシーを予約していたらしい。タクシーはマンションのエントランスの前で、朝乃たちを待っていた。ふたり乗りの小型車だ。朝乃とドルーアは、すぐに乗りこむ。
 車内に入ると、ドルーアは疲れたように細い息を吐いて、ネクタイを外した。シャツのボタンも、ふたつ外す。それだけの動作なのに、――功も家でやっていることなのに、ドルーアはやたらと色気がある。朝乃は思わず凝視してしまった。
「何?」
 ドルーアが視線に気づいて、目を向ける。彼と目が合って、朝乃は顔を赤らめた。ドルーアは苦笑する。
「じーっと見てしまうほど、僕はハンサムかい?」
「はい」
 朝乃は肯定する。彼は楽しそうに笑った。
「ありがとう。自信が持てるよ」
 朝乃ははずかしさをごまかすために、ショルダーバッグから水筒を取りだした。ごくりと一口飲む。それで水筒はからになった。朝乃はなんだかんだと、お茶を飲んでいたのだ。
「お茶をありがとうございました。今、飲みきりました」
 朝乃はお礼を言った。水筒を用意したのは、ドルーアと信士だからだ。
「どういたしまして」
 ドルーアはほほ笑んで、朝乃の肩を抱いた。彼に肩を抱かれたのは、初めてかもしれない。ドルーアとの距離が近くて、どきどきする。いいにおいがする。けれど朝とは、ちがうにおいだ。多分、汗のにおいが混じっている。
 朝乃の心拍数は、どんどんと上がっていった。でも、肩に置かれた手を離してほしいわけではない。朝乃は自分を落ち着かせるために、話題を探した。
「そう言えば、ヌールはどんな都市なのですか? ドルーアさんの故郷ですよね。さっきニューヨークさんは、鎖国のようなものとおっしゃっていましたが」
 ドルーアは、緑色の目をふせる。好ましい話題ではなかったらしい。
「ちょっと特殊な都市だね。月面都市の中で一番小さくて、人口も一番少ない」
「そうですか。功さんが、ドルーアさんはチェスがうまいと言っていました」
 朝乃は話題を変える。ドルーアは、複雑な笑みを浮かべた。
「うまい方だと思うよ。ただ将棋と碁は、功の方が強い」
 ということはドルーアは、功には負けるとはいえ、将棋や囲碁までできるらしい。朝乃は、将棋も囲碁もチェスもできない。朝乃からすると、ドルーアは何でもできる人だ。
 朝乃は話題をとぎらせた。本当は、ちがうことが聞きたい。家族のこととか、家のこととか、故郷のこととか。表面的なことではなく、心のうちが知りたい。しかしそういったプライベートなことは、安易に詮索していいものではない。
「以前、ドルーアさんは、たくさんの外国語がしゃべれると言っていました」
 朝乃は、また別の話題にした。
「どんな国の言葉が話せるのですか?」
「母国語は月面英語。自信がある外国語は、日本語、ドイツ語、アメリカ英語、イギリス英語、――要は地球英語だね、それからロシア語、中国語。簡単な単語やあいさつ程度でいいのなら、韓国語、トルコ語、フランス語、スペイン語とかかな」
「すごいです」
 すごいとしか感想が出てこない。家庭教師がいたとしても、そんなに話せるようになるものなのか。ドルーアは少し黙った後で、朝乃を強く抱き寄せた。
「エンジェル、僕のことが知りたいかい?」
 朝乃は彼を見つめて、うなずいた。今、ドルーアは心の扉を開いている。朝乃は、そこに入りたい。ドルーアは、おもむろに話しだした。
「僕は、月面都市ヌールで生まれ育った。言い方は悪いが、ヌールは金持ちの特権階級だけが暮らしている都市だ。ヌールに入国できるのも居住できるのも、上流階級の人間のみ。ゆえに鎖国しているようなものだ」
 朝乃はそこまで驚かなかった。なんとなく、そういう気がしていた。ドルーアは、大企業の御曹司だ。金持ちの家に産まれたに決まっている。そして日本でも、金持ちと貧乏人では住む場所が異なる。子どもたちが通う学校も、服を買う店も、利用するレストランも。
「僕の父のアルベルトも、ヌールで産まれ育った。コリント家は名家で、昔は侯爵だか伯爵だかの爵位を持っていたらしい。今でも資産は多い。だから父は、働いて金を稼ぐ必要のない人だ」
 聞けば聞くほど、朝乃はドルーアとの間に距離を感じる。
「けれど父は、その当時のはやりで、宇宙開発関連企業のドラド社に勤めた。父が若いころは、宇宙で戦争していなかった。火星や木星や小惑星帯に対する調査も活発だった。父がドラド社の最高経営責任者になったのは、約十年前のことだ」
 だがドルーアは、誰にも内緒の話を打ち明けているのかもしれない。彼の声が心地よい。肩に置かれた大きな手が、朝乃をうぬぼれさせる。私は、彼の特別な存在かもしれないと。
「僕はヌールで、両親と父方の祖父母に甘やかされて育った。あぁ、父方の祖父のパオルが、今のヌール家の当主だよ」
「きつねに似ているおじいさんですか?」
 朝乃は聞いた。ドルーアは、にっと笑う。
「そう、油断のならないきつねじじぃさ。それで僕はばくぜんと、将来は自分もドラド社で働くと思っていた。宇宙船とか乗りものが好きだったしね」
 乗りものが好きだったという子どものころのドルーアを想像して、朝乃は気持ちがほっこりした。
「僕は、宇宙に出るのも好きだった。父が操縦する自家用宇宙船(プライベート スペースシップ)に、家族みんなで乗って、ひたすら月の周回軌道上を回っていたこともある。その船で、深宇宙港まで観光に行ったことも」
 ドルーアの声は懐かしそうだった。ただ、自家用宇宙船だの深宇宙港だの、内容が普通ではないが。深宇宙港は人類唯一の有重力スペースコロニーで、宇宙開発の最前線だった。誰もが行ける場所ではない。そんな特別な場所に、ドルーアは観光で行ったのだ。
「私の親は……」
 朝乃は、ふいに両親のことを思い出した。だが声に出してから、しまったと思う。ドルーアの話の腰を折ってしまった。しかし彼は、うれしそうにほほ笑む。
「君のことを教えてくれ。君が僕について知りたいように、僕も君のことが知りたい」
 なんて甘い雰囲気なのだろう。朝乃は、くらくらする。これで、NOと言えるわけがない。朝乃は、ゆっくりと話し始めた。
「私のお父さんは、星間輸送会社に勤めていました。地球月間の往復が主な仕事でしたが、深宇宙港へも行ったことがあります。観光ではなく、仕事でしたが」
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