宇宙空間で君とドライブを

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  5−7  

 マンションのエントランス脇で相談した結果、ドルーアはタクシーの前の座席に、朝乃と信士は後ろの座席につくことになった。
「市庁舎前にできているであろう人だかりは、僕が引き受けます。僕が呼び寄せた、僕のファンたちですので。信士さんは、朝乃の護衛をお願いします」
 ドルーアが話す。彼は、さきほどの朝乃との気まずい会話を引きずっていないようだった。
「分かった」
 信士は返事をして、朝乃はお願いしますと頭を下げた。
「市庁舎までは車で三十分ほどだ。道は混んでいないようだから、すぐに着くだろう」
 信士は言い、タクシーに乗りこんだ。朝乃とドルーアも乗り、車は出発する。ドルーアと信士は探偵ごっこを一緒にやって、仲よくなったのだろう。ふたりが信頼しあっているのが、会話から感じ取れた。
「僕は所用があるので、マネージャーのタインに電話をします。遮音ガラスを上げますね」
 ドルーアは後ろを振り返り、信士と朝乃に告げた。朝乃はタインと会ったことはないが、彼の名前はドルーアの話によく出てくる。ドルーアの芸能活動での相棒らしい。ドルーアは、タクシーのコンピュータに命令した。
「遮音ガラスを上げてくれ」
 後部座席と前部座席の間、ガラスの壁がせり上がって、天井にくっついた。これでドルーアの姿は見えるが、声は聞こえない。朝乃と信士は実質、二人きりになった。
 朝乃はドルーアのことは、いったん頭から追い払った。笑顔を作って、信士に水筒のお礼を言う。
「水筒をありがとうございます。さきほどドルーアさんからいただきました」
「どういたしまして」
 彼は両目を細めて、ほほ笑んだ。ただかすかに表情が動くのみなので、注意して見ないと分からないが。
「さっそく孤児院の院長さんとの通話映像を見たいのだが、いいかな?」
 信士はたずねた。朝乃は二日前に彼に、日本軍の暗号を読んでほしいとメールでお願いしていたのだ。暗号とは、孤児院院長の由美が朝乃に送ったものだ。
「はい。お願いします」
 朝乃はショルダーバッグから、タブレット型コンピュータを取り出す。そして星間電話の映像を見せた。由美の手による暗号が始まると、信士はしゃべり出す。
「私は知らない、どこに子どもが住んでいるのかを」
 子どもとは誰だ? 朝乃はそう思ったが、ちょっと考えてから分かった。朝乃は由美に、裕也のことをメールでたずねた。よって由美は、子ども、つまり裕也がどこに住んでいるか知らないと答えたのだ。
「子どもはたびたび私に会いに来る。子どもはさきほどまで、ここにいた。私は子どもに勧めた、あなたに会うようにと」
 信士はたんたんと暗号を読み続ける。
「私たちのことは心配するな。私が対応する」
 孤児院のことは心配するな、私が孤児院を守ると由美は伝えている。
「あなたはここに戻ってくるな」
 すなわち、再び裕也の人質になるな。朝乃は画面上の由美に向かって、うなずいた。
「子どもは戦場で病気になった。子どもは今、病気の治療中だ」
 朝乃はまゆをひそめた。おととい、裕也は元気というわけではなかったが、病気にも見えなかった。しかしいきなり泣き出したりもしたし、暗い顔もよく見せた。弟は、うつ病などの心の病なのか。
「暗号は以上だ」
 信士は言った。
「ありがとうございます」
 朝乃は心ここにあらずで、礼を述べた。その後で、また考えこむ。由美からのメッセージは、裕也の病気以外はほぼ知っていることばかりだった。
 もしもうつ病以外ならば、何の病気なのか? 弟は病気になったから、軍を脱走したのか? 裕也は従軍前は、人並みに健康だった。
 裕也に会ったときに、遠慮せずにもっといろいろと聞くべきだった。朝乃は後悔する。産まれたときからずっと一緒にいた弟に遠慮をするとは、ばかなことをした。黙りこんだ朝乃を、信士は心配そうに見ている。朝乃は彼に質問してみた。
「戦場でかかりやすい病気は何でしょうか?」
 信士は難しい顔で、ちょっとだけ考える。
「さまざまなものがある。精神的なものもあるし、集団生活のためにインフルエンザなどがはやることもある」
 漆黒の両目はつらそうだった。
「言いづらいことだが、古今東西、軍隊では麻薬などがはやる。さらに軍隊内における暴力もある。当然、今の日本軍も例外ではない」
 朝乃には、ほとんど知らない話ばかりだ。聞けば聞くほどに、弟が心配になってくる。国の指導者たちは、不都合な事実を国民から隠すものだ。
「また無重力の宇宙空間に長くいるから、体が弱くなる。筋肉が落ちたり骨が弱くなったりするんだ。そして今、もっとも問題視されているのは、宇宙放射線による被ばくだろう」
 宇宙は、二十三世紀の今でも危険な場所だ。死んだ両親も、そう話していた。
「先々月、――どこの月面都市のニュースだったかな? 休暇で家に帰っていた兵士が、おそらくPTSD(外傷後ストレス障害)に苦しんでいたのだろう、悪夢を見て妻を殺したらしい」
 朝乃はぞっとした。裕也が憎々しげに朝乃を殺す、そんな生々しい映像が頭に浮かんだのだ。そのときの恐怖、絶望、あきらめに似た感情まで思い出した。
「心安らぐ自宅に帰っても、戦場を思い出す。戦場での兵士たちの仕事は、殺人か破壊だ。さらに、自分や同僚がいつ死ぬか分からない……」
 信士は朝乃を見て、はっとして口を閉ざした。
「すまない。嫌な話ばかりを聞かせた」
 視線を伏せて謝罪する。
「いえ」
 朝乃は首を振る。けれどまだ寒気がする。信士は痛ましそうに問いかけた。
「病気になった子どもというのは、裕也君のことか?」
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