宇宙空間で君とドライブを

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  5−4  

 ドルーアが予約した中型の無人タクシーは、四人乗りだった。前に二人、後ろに二人座れる。朝乃とドルーアは前の席に座り、ドアを閉める。
「予約された目的地へ出発します」
 電子音声がしゃべり、車はゆっくりと発進した。
「まずは信士さんの家に行こう」
「はい」
 ドルーアに、朝乃は返事する。朝乃たちは信士の家に寄ってから、彼とともに市庁舎に行く予定だ。
「そうだ。君に渡したいものがあった」
 ドルーアはバッグの中から、細長いステンレスの水筒を取り出す。コップのついていない、直接口をつけて飲むタイプのものだ。
「この水筒は、信士さんからのプレゼント。すでに僕が、暖かい番茶を入れている。道中、のどが渇いたら飲んでくれ」
 朝乃は驚いて、水筒を受け取る。そうだ、水筒のことを忘れていた。朝乃は先週、功と翠から水筒を買おうと言われた。朝乃は、のどの渇きぐらい我慢できるからと遠慮した。その後、朝乃も功も翠も、水筒のことを忘れていたのだ。ドルーアは楽しそうに笑う。
「昨日の電話で、功と翠もそんな顔をしていた。水筒を買い与えることを忘れていたと」
「私も忘れていました」
 朝乃は答える。
「信士さんは職業がら、地球から月に来たばかりの人に多く接する。だから、彼らが犯しやすい失敗を知っているんだ」
 浮舟は基本的に、地球より過ごしやすい。日本と同じく春夏秋冬があるが、人間が快適に過ごせる範囲で気温が上下する。また気温の設定は、月面都市によって異なる。一定の温度を保つ都市もあるし、四季はあるが八月に冬になる都市もある。
 雨が降るのは、主に都市の清掃のためだ。娯楽やスポーツのために、局地的に雪を降らせることもある。豪雨、竜巻、台風などの気象災害はない。
 しかしそんな月面都市にも、欠点がある。空気が乾燥しているのだ。実際に朝乃もよく、のどが渇く。のどが渇いて、夜に目覚めることさえある。今はベッドのそばに、水の入ったコップを置いている。
 さらに乾燥のせいで、肌も荒れやすい。なので、こまめに保湿クリームを塗る。
「地球から来たばかりの人は、月の乾燥を甘くみて、水分補給や肌の保湿をおこたる。その結果、体調を崩すことが多いらしい」
 ドルーアのせりふに、朝乃はうっと言葉に詰まった。まさに朝乃は月の乾燥を甘くみて、水筒はいらないと言った。
「だから信士さんは、君に水筒をプレゼントしたくなった」
 朝乃は自分を恥じた。けれど気持ちを持ち直して、笑顔を見せる。
「ありがとうございます。後で信士さんにも、お礼を言います」
 ドルーアはうれしそうに笑う。朝乃は水筒を大切に、ショルダーバッグに入れた。
 ただ、申し訳ない気持ちになる。朝乃はいつも、もらうばかりだ。せめてお礼に家事を手伝いたいと思っても、ドルーアと信士は同じ家に住んでいないので無理だ。朝乃が悩んでいると、ドルーアが心配そうにたずねてきた。
「どうした? 何か気になることがあるなら、言ってほしい」
 朝乃は少し迷ったが、素直に自分の気持ちを打ち明けた。するとドルーアは微笑する。
「値段の高いものではないから、気にすることはない。もしも気になるなら、君が大人になったとき、周囲の困っている人たちを助けたらいい」
 ドルーアは朝乃の右手を取って、手の甲や手のひらをじっくりと観察した。朝乃は赤くなる。けれど、自分の手を取り戻したいと思わない。
「信士さんも僕も浮舟に来たばかりのとき、多くの親切な人たちに助けられた。だから今、君を助けているんだ。スキンクリームは、僕からプレゼントしようと思っていた。けれど翠から、すでに君に渡したと聞いた」
 ドルーアの手は朝乃より大きくて、あたたかい。
「さきを越されて悔しいが、君の肌がきれいでうれしいよ」
 彼は朝乃の指に、ちゅっとキスした。朝乃は、タコになれるぐらいに真っ赤になる。ドルーアは本当にキザな人だ。彼はいたずらっぽく笑って、朝乃の手を離す。
「さて、僕のかわいい天使。信士さんの家まで、一時間以上かかる。せまい車内でふたりきりで、何をして過ごそうか?」
「え?」
 朝乃は思わず声を上げた。そう言えば、ふたりきりだ。朝乃は一気に、落ち着かなくなった。ドルーアとふたりだけになるのは、ひさびさではないだろうか。
 昨日もおとといも彼は電話をくれて、ふたりで話した。だが今は画面ごしではなく、ドルーアはそばにいる。すぐに触れられる距離にいて、さっきだってキスされた。ドルーアは足を組みかえて、これまた楽しそうに笑った。
「大丈夫だよ。君のあしながおじさんは、軽いキスとハグしかしないから」
 あしながおじさん? 朝乃は首をかしげる。僕は足が長くてスタイルがいいと自慢しているのか。何となくちがう気がするが、朝乃にはそれ以外、あしながの意味が分からない。
「ところで、裕也から連絡は来ているかい?」
 ドルーアはさっと話題を変えた。
「私には一度も来ていないです」
 朝乃は苦笑する。ドルーアは意外そうに、緑色の両目をまばたかせた。
「私は、昨日もおとといもメールしました。でも返信は来ていません」
 今日も芸能記事を読む前に、メールを送っている。市長に会いに行くことも伝えている。それ以外では、翠から借りてミンヤンの書いた本をちょっとだけ読んだとか、功から借りて浮舟20の歴史漫画を読んだとか。
 朝乃は裕也に、聞きたいことだらけだ。が、じっとこらえて、ほとんど何も聞いていない。だからメールには、自分の近況ばかり書いている。
「裕也は昔から面倒くさがりなのです。これが弟の普段どおりです」
 朝乃はドルーアに説明した。
「僕と正反対だ。いや、遠慮のない家族だからこそ、そうなるのかな」
 ドルーアはほほ笑む。朝乃と裕也は小学校に上がると、両親に子ども用タブレットコンピュータを買い与えられた。朝乃は自分専用のタブレットで、チャットしたりビデオ通話したりするのが楽しかった。
 しかし裕也は、チャットなどのコミュニケーションを面倒がった。彼が連絡をさぼったせいで、けんかになったこともある。だが彼はあまり反省しない。いい加減な弟なのだ。
「ただ昨日、功さんは裕也と星間電話で話したらしいです」
 朝乃は言う。朝乃はそれを功から聞いた。功は裕也を、大人になった、しっかりしているとほめていた。
「あと翠さんが、『裕也君はメールを送ると、すぐに返信してくれる』と言っていました。裕也は翠さんには、返事を送っているみたいです」
 朝乃のメールには返答しないくせに。裕也の態度のちがいに、朝乃はあきれている。
「そうか。ともかく、裕也と連絡が取れるようになって、よかったね」
 ドルーアは両目を細めて笑う。彼は本当に、朝乃のことを考えてくれる。朝乃は魅了されたように、彼を見つめた。多分、朝乃は一生、ドルーアが好きだ。
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