宇宙空間で君とドライブを
4−9
裕也だけなのか、すべての超能力者がそうなのか分からないが、瞬間移動は簡単にできるらしい。朝乃はひとりで昼食の後片付けをしながら、ついさっきのことを思い出していた。裕也は軽く笑って、イスから立ち上がった。
「じゃ、行ってくる。すぐにここに戻るから」
と言って、姿が消える。朝乃は、開いた口がふさがらない。瞬間移動したのだろうと理解はできたが、その認識に心が追いつかなかった。それに裕也はどこへ行ったのだろう。
朝乃は動揺しつつも、とりあえず食事の片づけを始めた。キッチンに立って、食器を食器洗い乾燥機に入れていく。
「朝乃」
「ひっ」
いきなり背中から話しかけられて、朝乃は皿を落としそうになった。振り返ると、ぶぜんとした表情の裕也が立っている。
「そんなに、びっくりしなくてもいいだろ」
「驚くのは当たり前でしょう」
朝乃は弟を責めた。突然、消えたり現れたりする裕也は、心臓に悪い。
「ちょっと自分の部屋に行って、机からはさみを取ってきただけなのに」
裕也は右手に持っていたはさみを、朝乃に見せる。朝乃は両目をまばたかせた。朝乃が孤児院で、裕也と自分の髪を切るために使っていたものだ。このはさみは、日本の孤児院にあるはずだ。
「この家に来る前に孤児院に行った、と教えただろ。そのときに、院長先生が俺に押しつけてきたんだ」
裕也は気まずそうに、少し黙る。
「実は先生に、朝乃と連絡を取っていないことがばれて、説教されていた。昨日、朝乃が先生に送ったメールで、先生は気づいたらしい。それで朝乃に会いに行って、ついでに髪も切ってもらうように命令された」
朝乃はあきれて、弟を見た。先生に怒られて言われたとおりにするとは、裕也は子どもだ。しかし彼が今、朝乃の前にいるのは由美のおかげらしい。朝乃は心の中で、由美に感謝した。
「分かった。食洗機を動かしてから、髪を切る」
朝乃は手早く、食器を機械の中に入れる。食洗機のスイッチを押して、洗浄を開始する。ちょうどそのとき、翠とドルーアがキッチンにやってきた。
ドルーアは、いつもどおりの優しげな笑みを浮かべている。だが翠は、困ったような顔つきだ。ドルーアは裕也に、さきほどの封筒をよこしてきた。封はすでに切られている。
「もう読んだから、この手紙は燃やしてくれないか?」
「え?」
裕也は目を丸くした。
「心配しなくても、ジャニスには電子メールで返信した」
ドルーアはほほ笑む。しかしジャニスという名前に、朝乃の胸はざわめきたった。やはり彼女からの手紙だったのだ。ドルーアにとって、唯一の特別な女性。
「僕がプライベートで君の手を取ることはないと、はっきりと書いた」
朝乃は驚いて、ドルーアを見た。そんなことをメールに書いて送っていいのか? ドルーアはずっと彼女のことを想っているだろうに。彼の顔は、完全なポーカーフェイスだった。何を考えているのか読みとれない。裕也がとまどいながら、ドルーアにたずねる。
「なぜですか?」
朝乃だって、なぜ? と聞きたい。朝乃は翠に、ドルーアのゴシップ記事は読むなと言われていた。だが好奇心に負けて、ネット上にある音楽やシネマ雑誌をこっそりと読みあさった。ジャニスは有名人なので、記事はたっぷりあった。
(彼女はきれいで、存在感のある黒人女性だった)
黒色のまき毛、印象的な翡翠(ひすい)の瞳。真っ赤なルージュが似合う大人の女性。ジャニスがドルーアの隣に立っていれば、朝乃は彼のそばに寄れないだろう。子どもの朝乃はジャニスに、とても太刀打ちできない。
ジャニスは、月でもっとも人気のあった戦の歌姫だった。しかし四年前に歌手活動を休止して、復帰後の今は反戦歌を口ずさんでいる。彼女は主義主張を180度、変えた。その変節にはドルーアが関わっていると、ある記事には書かれていた。
そんな事情なので、彼女を裏切り者として糾弾する元ファンが多い。今は人前で歌うことはあまりないらしい。
ただチャリティーコンサートで、ドルーアがグランドピアノを弾いて、ジャニスが歌っている写真がネット上にはあった。ドルーアは緑色の両目を優しく細めて、ジャニスを見ていた。ふたりは恋人同士に思えた。
「君は超能力者なのに、人の心が読めないのか?」
ドルーアは苦笑した。裕也はまゆを下げる。
「俺は、そういうことはできません」
案外、弟はできないことが多い。さっきは、「テレパシーは才能がなくてもできる」みたいなことを言っていたのに。
「なら、この手紙を燃やすことは?」
「できないです。もしできたとしても、やりたくありません」
裕也は悲しげに言う。
「なら僕が、この手紙を処分する。僕はジャニスを、どんなスキャンダルからも守りたいから」
ドルーアは封筒を折りたたんで、ズボンのポケットに入れた。朝乃の胸に、ぐさりと矢がつきささる。手紙を処分することが、ジャニスを守ることらしい。その理由は分からない。けれどドルーアは当たり前のように、ジャニスを守っている。
だが、それならなぜ、ジャニスの手を取らないと言うのか。素直に考えれば、ドルーアは彼女を振ったのだ。朝乃は喜んだ方がいいのか。しかしドルーアが理解できなくて、困惑だけが広がる。
「裕也、僕は仕事があるから、もう行かなくてはならない。でも君には聞きたいことだらけだ。だから君の連絡先を教えてくれ」
ドルーアは、相変わらずのポーカーフェイスだ。彼は大人で、やっかいなことに役者でもある。
「はい」
裕也はまだ納得できないという顔だったが、シャツのポケットからペンシル型コンピュータを取り出した。銀色に輝いて、買ったばかりの新品に見える。
「え?」
朝乃は、まゆをひそめた。新品の小型コンピュータという高価なものを、なぜ裕也が持っているのか? 盗んだものではないと信じているが……。朝乃は裕也に聞くべきか迷った。
裕也は朝乃の視線に気づいて、気まずそうに口をへの字にする。ためらったすえに、しどろもどろ言った。
「買ってもらったんだ。俺は断ったけれど、必要なものだから持っていなさいと言われて」
誰に買ってもらったのだろう。朝乃は、聞きたい気持ちをこらえた。本当に裕也は秘密だらけだ。
よく見れば、裕也の着ている服もある程度いいものだ。すり切れていたり、洗濯しても落ちない汚れがついていたりしない。朝乃は自分もいい服を着ることに慣れたせいで、弟の服の変化まで気づかなかった。
さらに裕也は紙という骨董品を使って、朝乃に秘密のメッセージを送ったこともある。紙こそ、貧乏人には手に入らないものだろう。朝乃は紙をびりびりにやぶいて、水にひたしてから捨てた。しかし、もったいないという気持ちは大きかった。
裕也はどこで暮らしているのか? 普段、何を食べているのか? 不健康には見えないので、ちゃんとしたものを食べているのだろう。体も髪も汚れていないから、きちんと風呂にも入っている。裕也は清潔で、なおかつお金がある。
「とにかく、メールアドレスや電話番号を教えてくれないか?」
ドルーアが少しじれたようにせかした。それから、自分の腕時計型コンピュータを操作する。
「はい」
裕也は慣れた手つきで、コンピュータを軽く振った。中空に、二次元の画面が現れる。画面の中で、七色の虹が現れて、虹の前にこんにちはという文字が出てきた。
「裕也、私にも教えて」
朝乃はあわてて、自分のタブレット型コンピュータをリビングから持ってくる。翠も自分のものを持ってきて、全員でアドレスと電話番号を交換した。裕也のアドレスと電話番号は、昔のものとちがった。ドルーアが、自分のコンピュータ画面を見ながらしゃべる。
「このアドレス、……君は中国に住んでいる?」
裕也は、ぎくっと顔をこわばらせた。意外な国名に、朝乃は首をかしげる。朝乃は中国に行ったことはないし、知り合いもいない。ドルーアは顔を上げて、裕也の表情を探る。
「中国、ジャニスからの手紙、そして君自身も一流の超能力者だ。君は、千里眼のミンヤンと関わりがある?」
ミンヤンという名前に、裕也の目が泳いだ。ばれてしまった、どうしようという心の声まで、朝乃には聞こえてくる。弟は基本、うそのつけない人間だ。
ただ朝乃はミンヤンについて、すごい超能力者だということしか知らない。あとは、ニュース映像も記事もうろ覚えだが、車いすのおじいさんだった気がする。そんな朝乃には縁遠い人が、裕也と知り合いなのか?
「君が、僕が家にいると知っていたのは、ミンヤンさんに教えてもらったから。いや、彼はもっと前に、君と僕が会う未来を見たのだろう」
おろおろする裕也に、ドルーアは冷静に話した。
「だから君に、ジャニスから手紙を受け取るように頼んだ。そして君は、瞬間移動でジャニスに会いに行った。月でも地球でも一瞬で飛べる君には、簡単な仕事だった」
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