宇宙空間で君とドライブを

戻る | 続き | 目次

  4−6  

 その手紙は何だ? 朝乃は、裕也の持つ手紙を凝視した。白い封筒に英語の筆記体で、何かが書かれている。Dという頭文字から、多分「ドルーアへ」と書かれているのだろう。
 アンティークの紙の封筒に、手で書かれた文字。言うまでもなく、特別な手紙だ。くせのある字で、手書きであることを、――特別なものであることをより一層感じさせる。
「君のことをあなどっていた」
 ドルーアはこわばった顔で苦笑した。強がっているようにも見えた。朝乃は調理を続けつつも、ドルーアのことが気になる。
「俺はただの郵便配達員です。頼まれただけです」
 裕也は自信なさげに答えた。
「おととい彼女に会いに行って、この手紙を預かりました。でも、ドルーアさんに会う機会なんてあるのか、と疑っていました。あの人はすべて分かっていたと思います。この手紙は今、ここで渡すべきなんです」
 裕也は、きりっと顔を上げた。彼女ということは、手紙の差出人は女らしい。ドルーアを動揺させる、特別な女性。朝乃の胸は苦しくなった。ドルーアは無表情で、裕也から手紙を受け取る。
「ありがとう。すぐに読む」
 彼は、機嫌の悪い声でしゃべった。キッチンから出ていく。途中で、翠に何かを耳もとでささやいた。
「うん。いいよ」
 翠は、いたわるような笑みを見せる。
「ありがとう」
 ドルーアは軽く笑って、ダイニングの方へ消えた。彼は朝乃を見なかった。それだけのことで、朝乃の気持ちは落ちこんだ。裕也は、手紙を渡せたからなのか、ほっとしている。朝乃は八つ当たりするように、弟にたずねた。
「あの手紙は何なの? 彼女って、あの人って誰なの?」
 場合によっては、裕也を恨みそうだ。朝乃の剣幕に、裕也は目を丸くした。それから困ったように目をそらす。
「教えていいのか分からない」
「えー?」
 朝乃は不平の声を上げた。そんなことを言われたら、朝乃も聞いていいのか分からない。
「分かった。もう聞かない」
 朝乃はしゃくぜんとしない思いで答えた。とりあえず昼食の準備に戻る。沸騰したお湯に、パスタめんを入れる。ドルーアが増えたので、四人分だ。キッチンタイマーを八分にセットする。フライパンの中のパスタソースは、すでに完成している。
 朝乃は、ちらっと翠を見た。彼女はおそらく、あの手紙が何か分かっている。けれど、これも朝乃は聞かない方がいいのだろう。朝乃は我慢するしかなかった。
「ねぇ、裕也君」
 翠は裕也に話しかけた。
「あなたはいつ軍に入ったの? 去年の四月?」
「はい。四月一日に男性の従軍年齢が十六才に引き下げられて、それで軍に入りました」
 相手が翠だからなのか、裕也ははきはきと答える。翠はつらそうに、目線を下げた。開戦当初は、日本の従軍年齢は二十才からだった。ただ就職先として軍を志望する若者は少なく、軍は簡単に人手不足に陥った。
 人手不足を補うために、従軍年齢は十八才に引き下げられて、さらに十六才まで下げることを政府は検討しだした。ニュースによると、十六才への年齢引き下げには反対が多かったらしい。その反対を受けて、男性のみの従軍年齢が十六才に下がったのだ。
 なので孤児院にいた十六才十七才の男子、――裕也を含めて三人いた、が従軍することになった。朝乃は、裕也と離れるのは嫌だった。孤児院の大人たちも、子どもたちを軍に入れることに難色を示していた。
 しかし孤児院は金もスペースも余裕がなく、軍という行き先があるなら、さっさと三人を追い出すべきだった。それに、孤児に対する世間の目は厳しく、
「今すぐ子どもたちを軍に入れろ、さもなくば孤児院に火をつける」
 といった、脅迫電話まで来た。
「功は」
 翠は、ぽつりと話し出す。
「ずっと裕也君のことを心配していた。従軍年齢引き下げのニュースのときも、あなたのことを気にしていた。あの子は今、十六才ぐらいじゃないかと」
 裕也は驚く。
「でも俺は、功さんと一度しか会ったことがないのに」
「そうなの?」
 翠は目を丸くした。それから、ふふふと笑う。
「実は私より、あなたと功の方が付き合いが長いの。功から聞いたけれど、何度かメールのやり取りをしたのでしょう? 彼はあなたが同じ会社に入ってくることを、楽しみに待っていた」
 翠は悲しげに笑った。功の希望はかなわなかったのだ。裕也も、何とも言えない顔でうつむく。
「だから私と功は、あなたに頼ってもらえてうれしいの」
 翠は、はっきりと言った。朝乃は、はっとして彼女の顔を見る。翠はしっかりと、朝乃と裕也の会話を聞いていたのだろう。裕也も、とまどった顔をしている。
「私たちにできることは少ないけれど、あなたたち姉弟を全力で守る。それを忘れないで」
 翠は朝乃たちに言い聞かせるように、強く言った。裕也は感激して、がばりと頭を下げる。
「ありがとうございます。俺はあなたたちのためならば、なんでもやります」
「そういうのはなし!」
 翠は腕を組んで、しかめっ面を作った。だが次の瞬間には、楽しそうに笑いだす。
「でも、そうね。この世でもっとも頼もしい超能力者に、貸しを作るのもいいかも。あなたからの恩返しを、楽しみに待っている。だから今は遠慮しないで」
 裕也は顔を上げて、照れたようにうなずいた。翠はまじめな顔をして、朝乃の方を向く。
「朝乃ちゃんもよ。あなたはすごく、私と功を助けてくれる。おなかが大きいと、予想以上に動きづらい。けれど今はあなたが家のことを手伝ってくれるから、私はだいぶ楽になっている」
 翠の目は、うそを言っているように見えなかった。
「本音を言えば、あなたがここまで料理や掃除ができるとは思わなかった。あなたの作るご飯がおいしいというのは、お世辞じゃない。しかも手際もいいし、レシピもほとんど見ない。私と功より、あなたの方が断然、料理ができる」
 翠はほほ笑んだ。そのとき、ピピピとキッチンタイマーの音が鳴る。朝乃はあわてて、なべの火を消した。パスタめんごとお湯を、流しのざるに入れる。湯気がもうもうとたった。
 ざるに入っためんをフライパンに移し、ターナーで混ぜて、ソースとからめる。最後にバジルを散らせて、パスタは完成だ。
「今日のお昼のパスタもおいしそうだし、朝乃ちゃんはこの家にいてください。でないと、私と功が困ります!」
 翠が朝乃と裕也に向かって、大きな声で宣言した。朝乃は弟と顔を合わせて、笑い合う。ふたりの肩の荷がなくなっていく。朝乃は翠に、笑顔を見せた。
「ありがとうございます」
 翠は満足げに笑う。朝乃はありがたさから、少しだけ涙ぐんだ。朝乃はちゃんと役に立っている。必要とされている。だから、今のままでいい。から回らなくていい。この家にいていい。ここは朝乃の家だ。朝乃はすでに家族の一員なのだ。
戻る | 続き | 目次
Copyright (c) 2019 Mayuri Senyoshi All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-