宇宙空間で君とドライブを

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  4−1  

「おひさしぶりです、院長先生。電話を許可してくれて、ありがとうございます」
 三次元ディスプレイに映されるひとりの中年女性に、朝乃は声をかけた。星間電話をかけるのは、両親が生きていたころ以来だ。朝乃は今、日本にいる人とつながっている。朝乃は緊張して、机の上で両手の指を組んだ。ディスプレイの中で、女性は口を開く。
「ひさしぶりね、朝乃。ただ、あなたがいなくなってから、一週間もたっていないけれど」
 栗田由美(くりた ゆみ)、朝乃のいた孤児院の院長だ。彼女の顔は少し疲れているが、瞳には聡明さを感じさせる光がある。浮舟は午前十時過ぎだが、日本はすでに夕方だ。
 由美は三年前に、新しい院長として孤児院にやってきた。前の院長が激務のために、体を壊したからだ。
「でも、ふしぎね。あなたの顔も声も、懐かしく感じる」
 由美はかすかにほほ笑んだ。朝乃は机に座っているが、由美は、背後に見える景色から、寝室にいるようだ。エプロン姿で、ベッドに腰かけている。
「私もです」
 朝乃もほほ笑んだ。由美は変わらない。そのことに朝乃はほっとしていた。ふたりの会話は、ひどくゆっくりとしたものだ。地球と月の超長距離電話なので、会話には二、三秒のタイムラグがあるのだ。
 朝乃はずっと、孤児院に連絡したいと思っていた。孤児院が今、どうなっているのか気になる。孤児院の子どもたちが心配だった。しかし宇宙港の火事があったために、日本に電話するのを控えていた。だが昨日、朝食後に、功がまじめな調子で話を切り出した。
「火事も鎮火したし、そろそろ君のいた孤児院と連絡を取りたい」
 朝乃はテーブルの上の食器を片づける手を止めて、うなずいた。
「はい。ただ、できるだけ孤児院の迷惑にならないようにしたいです」
 そして朝乃は、功と翠としっかりと相談した。結果、孤児院の中でもっとも信頼できる大人ひとりだけに、メールを送ることにした。ならば由美がいいと、朝乃は考えた。由美は賢く理性的で、子どもからも大人の職員からも信頼を寄せられている。
 朝乃は慎重にメールを書いて、由美に送った。こちらの近況を簡単に知らせて、孤児院や裕也のことを聞く。メールの返事は予想外に、早く来た。裕也のゆくえは知らない、孤児院は通常どおりと、そっけなく書かれていた。
「先生はうそをついています。裕也が軍から逃げて、私も国外逃亡したのに、孤児院は変わらないなんておかしいです」
 朝乃は困惑しながら、功たちに説明した。さらに裕也は、宇宙港に火をつけた可能性もある。だから孤児院は必ず、何らかの責めを負うている。だが孤児院の現状を教えられても、朝乃には謝罪しかできないが。
「もう一度、メールを送ってみよう。今度は、電話で話したいと伝えてくれ」
 功は考えこんだ後で、提案した。
「期待しすぎるのは禁物だが、何らかの進展があるかもしれない」
 朝乃は彼に従い、再度メールを送った。しかし、由美は断るだろうと思っていた。ところが彼女は承諾し、電話の日時をメールで指定したのだ。
「孤児院は、変わりありませんか?」
 朝乃は通話先の由美に向かって、一番の懸念事項を口にした。由美はあきらめたように笑う。
「朝乃、あなたは気づいているでしょう。この孤児院は、すべての部屋に盗聴器がしかけられている」
 予想していたこととはいえ、朝乃は改めてショックを受けた。メールも、どの程度か分からないが、盗み見されているのだろう。だから朝乃は、簡単な近況しか書けなかった。由美も、うその返事を送ったにちがいない。
 画面の中で、由美が急にきりっとした顔になり、不自然にまばたきをする。そして右手を上げて、グーにしたりパーにしたり、指を一本立てたり四本立てたりした。朝乃は驚いた。これは暗号だ。盗聴されているから、由美は暗号を映像で送っているのだ。
 しかし悔しいことに、朝乃には暗号が解読できない。だがこの録画を見せれば、功と翠がきっとどうにかしてくれる。朝乃は由美に向かって、うなずいた。できるだけ長く、会話を続けようと決める。その方が、由美が暗号をたくさん送れるからだ。
「先生は、私についていた発信器も知っていましたか?」
 朝乃は意識して、ゆっくりと話した。由美は普段と変わらないスピードでしゃべる。
「国からの命令を受けて、私がほかの職員たちとつけた」
 これも予想していたことだった。だが朝乃の心は重くなる。けれど由美たちを、責める気にはなれない。上からの命令は絶対だ。命令に逆らえば、孤児院ごとつぶされて、子どもたちは浮浪児になっただろう。そうなれば、野たれ死ぬだけだ。
「発信器をつけられた理由もご存じですか?」
「いいえ。説明を受けていないし、詮索するつもりもない」
 由美は会話しながら、暗号も送っている。右手と、たまに左手も動いている。以前から頭のいい人と分かってはいたが、実はもっとすごかったらしい。連絡を取る相手として由美を選んで、正解だった。
「なぜなら私の仕事は、孤児院を守ることだから。不要な詮索は、孤児院の安全をおびやかす」
 私の仕事は孤児院を守ること。朝乃はそのせりふを、何度も聞いた。由美はその言葉どおりに、孤児院の子どもたちを守っている。
 たとえば二年前に彼女は、子どもたちに外出禁止令を出した。禁止令に、朝乃を含め反発する子どもたちは多かった。だが、これも子どもたちを守るためのものだった。
 実際に孤児院の庭の中にいても、「お前は一晩いくらだ?」「処女かどうか教えろ」と塀の外から話しかけてくる大人たちがいた。
「朝乃。私や孤児院を心配しているだけならば、もう連絡してこないで」
 冷たい言葉に聞こえるが、言葉の奥には思いやりがあった。
「孤児院を守ることは、私の仕事。あなたは、あなたの仕事をしなさい」
「はい」
 朝乃はうなずいた。そして暗号のために次の話題を探していると、由美がさきに口を開いた。
「けれど、あなたからの連絡はうれしかった。私はメールを読んで、そしてあなたの姿を見て安心できた」
 由美はほほ笑む。彼女の表情や声から、愛情が感じられた。それはきっと、親からの愛に似ている。
「あなたは今、顔色がよくて、清潔な服を着て、孤児院の心配をするだけの余裕もある」
 そのとき、朝乃は理解した。朝乃と裕也のせいで、孤児院は何らかの罰を受けた。しかし由美はいつもどおりに、孤児院を守った。だから孤児院は普段と変わらないのだ。由美は常に、子どもたちには見えない場所で何かをやっている。
 由美は右手を動かすのをやめて、ひざの上に置いた。暗号を送り終えたのだ。彼女は会心の笑みをもらす。
「ありがとうございます、院長先生」
 朝乃は心から頭を下げた。
「三年間、お世話になりました」
 通話は、由美の方から切れた。朝乃は涙ぐんだ。由美が電話を承知したのは、朝乃の無事を確かめ、暗号で情報を送るため。朝乃が再び由美に会うことはないだろう。彼女に恩返しできないことだけがつらかった。
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