宇宙空間で君とドライブを

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  3−13  

 二階は寝室で、ベッドやタンスなどが置かれている。部屋は整理されていた。二階に上がってから、功は思い出したように翠にたずねる。
「警察から連絡はあったか?」
「あったわ。今日はもう疲れているだろうから、明日にしてとお願いした」
 朝乃は管理局での誘拐未遂事件について、警察に話さなくてはならないのだ。朝乃は昨日、二回も浮舟警察の世話になった。一回目は、ドルーアの家での襲撃事件だ。
「分かった。明日、俺は仕事に行くから、朝乃を頼む」
「了解」
 功と翠の話がまとまった後で、朝乃は翠に、お願いしますと頭を下げた。
「そんなに、かしこまらなくていいわよ」
 翠は気さくに笑う。
「じゃ、俺はシャワーを浴びるから」
 功は、寝室の奥にあるバスルームに向かった。朝乃と翠はさらに階段を上り、三階に行く。
「ここが、あなたの部屋よ」
 三階は屋根裏部屋らしく、天井がななめになっていた。ななめになっているところに大きな天窓がついている。窓からは、ドームの天井とはいえ、青い空が見えた。部屋の壁は白く、明るい。じゅうたんは深緑色で、落ち着いた気持ちにさせる。
「すごく素敵です」
 朝乃はすぐに、この部屋が気に入った。
「ありがとうございます」
 翠に向かって、心から頭を下げる。ひとり部屋なんて、両親が生きていたころ以来だ。朝乃は孤児院では、裕也とふたりで一部屋だった。二段ベッドの上に朝乃が、下に裕也が寝ていた。血のつながった姉弟だが、着替えなどは気をつかった。
 裕也が従軍してからは、別の女の子がベッドの下に来た。今度は同性だったが、赤の他人同士だったので、何かと気疲れした。
「よかった」
 翠は、ほっとしたようだ。
「でも急ごしらえで、まだベッドしかないのよ。ベッドも古いもので、ごめんなさい」
 彼女は申し訳なさそうに笑う。部屋には、シングルベッドと備えつけの棚しかない。棚は白色で、壁にくっついている。背は低い。棚のそばには、朝乃の服が入ったアタッシュケースが置かれていた。
「いえ、十分です」
 朝乃は答えた。棚の上には、鉢植えがひとつ置かれている。かわいらしいピンク色の花々が咲いている。ただ、半分以上はつぼみだ。
「この花は何ですか?」
 朝乃はたずねながら、答を感じ取っていた。
「ドルーアからあなたへ。小さなバラよ。うまく育てれば、年がら年中咲くと言っていた」
 翠はにっこりとほほ笑む。朝乃は予想が当たって、うれしくなった。鉢植えに近づいて、花に触れてみる。誰かから花を贈られたのは、初めてだ。しかもバラの花なんて、ロマンチックだ。ちゃんとお世話をして、大事に育てよう。
「あと、もう使わない机が家にあるから、あなたにプレゼントすると言っていたわ」
 背中から聞こえる翠の声に、朝乃ははいと返事した。机は、朝乃が英語を勉強したいと言ったからだろう。それにしても机と花とは、ドルーアらしい贈りものだ。彼は朝乃に、必要なものと、不要だけどあればうれしいものをくれる。
 ドルーアのこういう行為によって、朝乃の恋心はすくすくと育つ。きっと一年中、彼のことが忘れられない。恋人はいないと知ったので、余計だ。
「ドルーアは手当たり次第、女性に花を贈る人だけど、――鉢植えは初めて見たわ」
 翠の声はあきれている。
「朝乃ちゃんが喜んでくれて、よかった。鉢植えは世話が面倒じゃない」
「いいえ、大丈夫です」
 朝乃は笑った。贈り主がドルーアでなかったら、面倒と感じるかもしれないが。
「私や朝乃ちゃんに花を贈るより、ジャニスに贈ればいいのに。ドルーアってば、かっこつけているくせに弱腰なのよね」
 知らない女性の名前に、どきりと朝乃の胸は鳴った。不安に思って、翠の方を振り返る。彼女は、え? と目を丸くした。朝乃は気まずくなって、目をそらす。ちょっとの沈黙の後で、
「多分、そのうち分かるから、さきに教えるね」
 翠の声に、朝乃は彼女の顔を見た。彼女は優しくほほ笑んでいる。
「ううん、私が教えた方がいい。おかしなうわさ話やゴシップ記事で知るよりも。……それから、ドルーアのゴシップ記事は読まないで。たとえ目について読んでしまっても、真に受けないで。うそもいっぱい書いてある」
 翠は表情を厳しいものにした。どっこいせとベッドに腰かける。大きなおなかは、見ているだけで大変そうだ。
「ドルーアは、もう何年もひとりの女性を見ている。一時的な恋人、――要は遊び相手の女性を作らないと約束したのも、その人のためよ」
 ドルーアは朝乃に、僕は恋人に最高にロマンチックなことをささやいてから死ぬと言った。そのとき彼の脳裏には、誰が映っていたのか。
 朝乃の耳に、柔らかくて聞き心地のいい女性の歌声がよみがえる。それを聴いていたときの、ドルーアの夢見るような横顔とともに。
「その人は歌手ですか?」
 朝乃が聞くと、翠は驚いて目をみはった。
「知っているの?」
「なんとなく、そう思っただけです」
 朝乃は、ぼそぼそとしゃべる。翠は朝乃を、じっと見た。
「ジャニス・ディケンズ。もう五年以上も前かしら? 星間戦争の歌姫として、とても人気のあったシンガーよ」
 月側の戦意高揚や国威発揚のための歌を歌っていたの、と言い足す。
「だから私と功は、彼女のヒット曲を知らない。力強い張りのある歌声で、勇ましい曲が多かったそうよ。けれどジャニスは歌手活動をやめて……」
 翠は少しの間、迷うように黙った。
「ドルーアは、ずっと彼女を見ていた。ジャニスが人気絶頂のときも、そうでないときも。そして彼女がドルーアの過ちを許して、彼女が彼女自身の過ちを許すのを待っている」
 朝乃はうつむいて、唇をかんだ。ドルーアが本気で想う女性は、ジャニスだ。だから朝乃の恋は、つぼみのままで花開かない。
 ドルーアは朝乃を守ってくれる。それこそ、命がけで守ってくれる。服とか靴とか花とか、プレゼントしてくれる。だが彼は、朝乃の恋人にはならない。朝乃が顔を上げると、翠は同情をこめたまなざしで見ていた。
「今日はもう疲れたわね。夕飯まで時間があるから、ベッドで休んでおく?」
 朝乃は少し考えてから、うなずいた。翠は朝乃に気をつかっているのだ。
「この鉢植えは、世話をするのが面倒になったら、私に預けていいから」
 翠はドルーアの花を指して言い、階段を降りていった。
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