宇宙空間で君とドライブを

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  1−7  

 音は、右側にあるカーテンの閉められた窓から響いた。朝乃は恐怖のあまり何もできずに、ベージュ色のカーテンを見つめる。音は、ぎーぎーと不快なものに変わった。
「スプーキー、不審な人物たちが家に侵入しようとしていると警察と警備会社に連絡しろ!」
 ドルーアはさけび、朝乃をひょいと抱き上げた。ものすごい勢いで走って、キッチンからダイニングへ、ダイニングからリビングへ移動する。
 リビングの中で、彼は行動に迷う。だがすぐに、左側のドアを開けて廊下へ出た。すると、突き当たりにある玄関のドアノブが動いている。今にもドアが外から開けられて、誰かが入ってきそうだ。朝乃は震え上がり、ドルーアも立ちすくむ。
「くそっ」
 彼は短くののしって、朝乃を腕から降ろした。
「こっちだ!」
 ドルーアは、すぐ右にある下りの階段を駆け降りる。朝乃は玄関を気にしつつも、彼についていった。降りたさきにはドアがあって、ドアを開けると地下室がある。朝乃はドルーアとともに地下室に入った。ドルーアは、ドアのかぎを内側から閉める。
「棚をドアの前に置いて、バリケードにする。手伝ってくれ」
 彼は、左側の壁にあるふたつの棚を指さした。ひとつの棚には、紙の書籍がたくさん並べられている。アンティークの本がこれほどあるとは、本当にドルーアは金持ちの趣味人らしい。もうひとつの棚には、酒のびん、フルーツの缶詰、パックの保存食などが置いてある。
 朝乃とドルーアは、まず本棚の上半分を空にした。軽くなった本棚を、ドアの前に移動させる。それから本や雑誌を上の棚に戻した。本棚によってドアは、完全に姿を消した。ふたつ目の棚も同じようにして、本棚の前に置いた。
 月の低重力のために、作業は簡単だった。だが、こんな軽い棚ふたつでバリケードになるのか? と朝乃は不安になる。さらに作業の間中、ドルーアは考えごとをしていて無口だった。表情も険しくて、余裕がないのが分かった。
 ドルーアは、ドアの左にある壁に埋めこまれたボタンに、人差し指を当てた。
「指紋を認証しました」
 電子音声が答える。
「スプーキー、警察と警備会社はいつ来る?」
 ドルーアは早口で問う。
「声紋も認証しました。こんにちは、ドルーア。警察は十分後、警備会社は五分後の予定です」
 ドルーアはため息を吐いた。朝乃も落胆する。今の朝乃たちにとって、五分も十分も長すぎる。
「警察と警備会社に、僕たちは地下室に逃げていると伝えてくれ」
「承知しました」
「それから功に、緊急度も重要度も最高でメールを送れ。不審な人物たちが、僕の家に侵入しようとしている。僕は、村越朝乃という女の子と地下室に逃げている、と」
「承知しました」
 ドルーアの表情が、一瞬だけすがるものになった。功は頼れる人物なのだろう。そしてドルーアも朝乃と同じく、侵入者たちに恐怖を感じているのだ。
 朝乃ばかり怖がってはいられない。朝乃は、何か役に立つものはないかと、地下室の中を見回した。正面の壁にも棚があり、トロフィーやメダルや盾やオオカミの像などが飾られている。本人いわく人気者の大スターらしいので、これらは役者として取った賞だろう。
 右の方には、普段は使っていなさそうな机といす、また別の種類のいすがみっつある。そして隅には段ボールや木箱や冷蔵庫などがある。多分、この地下室は物置なのだろう。
「このトロフィーの棚や机もバリケードにしませんか?」
 朝乃は提案した。
「いい考えだ。だがその前に」
 ドルーアは、トロフィーなどの置いてある棚の前に座った。棚の下部にある観音開きの扉を開ける。昔ながらのダイアル式の金庫があった。ドルーアはダイアルを回して、金庫を開ける。
「朝乃、レーザー銃(ガン)は君に貸す。サングラスは、大きいとは思うが、僕のものを使ってくれ。僕は、この旧式の回転式拳銃(リボルバー)で戦う」
 朝乃はぎくっとした。それからおのれを恥じて、顔を赤くする。
「私は学校に行っていないので、銃の使い方をほとんど知らないのです」
 戦前ならともかく、今は小学生でさえレーザー銃を撃てるのに。ドルーアは、背中を向けたままで黙った。
 そのとき、ドンと何かがぶつかるような音が背後からした。朝乃はびくりと震えて、バリケードの棚を振り返る。棚は動かない。けれど棚の向こうから、トントンとたたく音がする。
 キッチンの窓と玄関から、ここまで侵入者たちが来たのだ。そして今、ドアを開けようとしている。ドルーアはサングラスをかけて、銃を二丁持った。覚悟を決めたように棚から離れて、朝乃とドアの間に立つ。
「今から君のために戦う」
 レーザー銃をジャージのポケットに入れて、もう片方の銃を両手で構える。意外にも、慣れた感じだった。
「僕に万が一があったら、『彼は勇敢だった。まちがいなくヒーローだった』と証言してくれ」
 だが発言は、弱気なのかふざけているのか分からない。
「死なないでください」
 朝乃はすがるように言った。
「安心しろ。君のために死ぬつもりはない。僕は恋人に、最高にロマンチックなことをささやいてから」
 ガツンと何かを投げつけたような音がして、ドルーアは黙る。朝乃たちは息をつめて、バリケードの棚を凝視する。突然、ドォンと爆音が響き、棚は前のめりに倒れてくる!
 白い煙がもうもうと地下室に入ってきた。朝乃はとっさに、口を閉じて鼻をつまむ。あっという間に、視界は真っ白になる。
 が、たちまち煙は薄くなる。倒れた棚を踏み越えて、誰かが地下室に入ってくる。ドルーアは人影に向かって、パァン、パァンと発砲した。ところが次の瞬間、彼は左ひざから崩れ落ちていく。
「ドルーアさん!?」
 朝乃はさけぶ。煙はもう、ほとんどない。ドルーアは崩れ落ちながらも、再び銃を撃つ。人影の方から、ポンと妙にかわいらしい音が響いた。ドルーアの両手から、銃がはじき飛ばされる。
 ついにドルーアは倒れた。けれどすぐに起き上がる。右手にはレーザー銃。だが再びポンと音が鳴って、今度はレーザー銃が弾き飛ばされた。
 段ボールの方に飛んでいく銃を、朝乃は追いかける。これをドルーアに渡すなり、自分でどうにかするなりしなくてはならない。しかし、
「―――!」
 月面英語で怒鳴られて、朝乃はびくんと震え上がった。声のした方を見ると、ひとりの男が倒れた棚のそばに立っている。ドアには大きな穴が開いていて、登り階段が見えていた。
 男は色の濃い大きなサングラスをして、人相が分からない。よくある感じのくすんだ青色のスーツを着ている。そして左手で銃を構えている。体型から、さきほどインターフォン越しに会話した中年の男女ではない。
 男の上衣には銃弾の穴がふたつあいて、その穴から防弾チョッキが見えていた。ドルーアの撃った弾は、防弾チョッキにはばまれたらしい。
 男は右手を背広の中につっこみ、もうひとつの銃を取りだした。右手の方の銃を、ドルーアに向ける。ドルーアは青い顔をして立っていた。
「―――――――。―――――――。―――――」
 男は朝乃に、何かをしゃべった。けれど朝乃には英語が分からなかった。男は左手の方の銃を、なぜか腰の銃ホルダーに戻す。
「――――。――――――――――」
 やはり英語で話す。ドルーアは顔をゆがめて、自分に向けられた銃を見ている。通訳を頼める状況ではなかった。朝乃が困っていると、男はやっと言葉が通じていないことに気づいた。
「私、殺す、彼。来てください」
 片言の日本語でしゃべる。と同時に、ドルーアに向けて引き金を引いた! 朝乃は悲鳴を上げる。青白いレーザー光線が音を立てずに、ドルーアのすぐ脇を走る。ドルーアは真っ青になった。が、レーザー光線は消えた。彼には当たらなかったらしい。
 今のは、外れたのか? それとも外したのか? もしかして、おどしだったのか? ドルーアは目に見えて、震えている。
「来い、ください」
 男は朝乃の方へにじりよってくる。右手の銃では、ドルーアをねらい続けている。朝乃は震えながら後退した。怖くて涙が出そうになる。しかし地下室はせまい。朝乃の背中は、トロフィーの棚にぶつかった。
 右に逃げるか左に逃げるか、朝乃は迷った。けれど……。朝乃は泣きべそをかきつつも、逃げるのをやめた。男は朝乃に「こちらへ来い、さもないとドルーアを殺すぞ」と言いたいのだ。
 だから朝乃は、男の方に行かなくてはならない。ドルーアを死なすわけにはいかない。彼はとても親切な人だ。朝乃とは無関係の他人でもある。だから、朝乃のために死んでいい人ではないのだ。
 男は、朝乃が状況を理解したのを感じたのだろう、にやりと笑った。朝乃は男に向かって、一歩を踏みだした。すると、
「――――――、――――――!」
 ドルーアが雄々しくさけんで、男に突進していく! 男はぎょっとして、一瞬だけあたふたした。その一瞬のスキで十分。朝乃は、棚に飾られているトロフィーをつかんで、男に向かって投げた。
 当たったかどうか分からない。確認するよりさきに、また別のトロフィーをつかんで投げる。
「いいぞ、当たった!」
 ドルーアの声に励まされて、トロフィーだの盾だの、よく分からない置物だのを投げる。するとドアの方から、ザシュザシュザシューンと雪をかくような音が響いた。
「功!」
 ドルーアが喜んだ声を上げる。
「朝乃、もういい。助かった」
 朝乃は投げるのをやめた。男はトロフィーや盾などを下敷きにして、うつぶせに倒れている。彼の肩や首や頭に、小さな矢が何本もささっていた。
 ドアの近くから、別の男、――東アジア系の男性がやってきた。黒髪は短く、体格もいい。年齢はドルーアと同じか、少し上に感じられた。けれど雰囲気は、ほぼ真逆だ。柔和なドルーアに対して、彼はとても男らしい。
 彼は右手に、小銃(ライフル)を持っている。この銃で侵入者の男を撃ったのだろう。彼はほがらかに、ドルーアに笑いかけた。
「貸しがひとつだな」
「必ず返そう。だがとりあえず、ありがとうと礼を言わせてくれ」
 ドルーアもほっとしたように笑う。それから朝乃に向かって、彼が功だと紹介した。
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