ロインの川を越えて

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  第二話 動揺する兄とやけっぱち王子  

「俺はあさってに、故郷へ帰る。もう今日しかない」
 ラウリンは妙に開き直っていた。
「だからって……」
 フェアナンドは途方に暮れる。冷静な兄が動揺するのは、めずらしい。そんなぐらい、ラウリンの言葉は唐突だった。ひとまずフェアナンドを頼り黙っているが、私も混乱していた。
「どうせ二日後には帰るし、今なら振られても嫌われても怖くない。泣きながら帰郷する準備はできている」
 ラウリンは、やけを起こしている。フェアナンドは片手で頭を抱えた。
「泣きながら帰らないでくれ。何があったのか周囲が邪推するし、君のご両親も心配する」
 兄はあきれている。ラウリンは、わが国の客人でもある。彼が泣きながら帰郷したら、国際問題に発展するだろう。ラウリンは勢いこんで、私の父である国王に訴えた。
「あなたから何度も、『誰でもいいから、ミラを嫁にもらってほしい』と聞きました。誰でもいいなら、俺でもいいですよね」
 ラウリンは真剣だった。私は父から、じゃま者扱いされている。きらめく宝石も美しい花も、すべて妹のもの。ブスの私にはもったいない。
 なのに見目のよい男性からの、突然の求婚。しかもなぜか、ラウリンは断られることを覚悟している。彼ほどの容姿ならば、女性は選びたい放題だろうに。
「だが……」
 父はラウリンからの申し出に、しぶい顔をした。おそらく彼は、事態の急変についていけていない。
「私の気持ちを考えてちょうだい。なぜあなたがミラと結婚するの?」
 妹のリーナが怒って、ラウリンの胸ぐらをつかむ。ラウリンは顔をしかめて、リーナから距離を取った。彼はずいぶん前から、リーナの言動に迷惑している。
「ミラ王女とラウリン王子では、つり合いが取れない。大国からブスを押しつけられた、かわいそうな王子と国民から笑われるでしょう」
 父の妾であるカーリーンが、嫌らしく笑う。私はかっとなった。ラウリンが口をぐっと結んで、カーリーンをにらむ。
「黙れ。君は口をはさむな」
 フェアナンドが冷たく言い放ち、私を守るように肩を抱いた。カーリーンは両目をつり上げる。右手に持ったハデな扇子が震えている。彼女はリーナの母親だ。ふたりは同じ金の髪を持っている。
 私とフェアナンドは正妻の子どもで、そろって赤毛だ。瞳も同じ緑色で、顔も似ている。優しかった母の王妃は、六年前に病死した。ラウリンが意を決したように立ちあがる。顔を真っ赤にして、どもりながらしゃべった。
「俺と、け、結婚してください。あ、あなたを大切にします」
 当事者のくせに逃げていた私は、たじたじになる。フェアナンドもラウリンの迫力に押されている。ラウリンの声は上ずっているし、両手も震えている。彼は緊張している。冷静ではないが、心の底から真剣だ。
 リーナが親の敵のように、私をにらむ。ラウリンは不安そうに、私を見る。私は異性から、相手されたことがない。でもここまでされたら、ラウリンが本気で私を好いているのは分かる。彼は私を愛しているのだ。
 自覚した瞬間、私のほおは熱くなった。はずかしくなって、ラウリンから顔をそむける。けれど、なぜ彼は私にほれているのだろう。ラウリンはフェアナンドと仲がいいので、私も彼とはある程度は親しい。
(でも私はラウリン王子と、天気の話ぐらいしかしたことがない。あとは、彼の故郷の話か)
 チーズがおいしそうですね、私も乗馬をたしなみます、子馬やうさぎはかわいいですね、ぐらいだ。つまりただの世間話だ。
 それに、ふたりきりで話したことはない。私とラウリンの間には、常にフェアナンドがいる。三人で食事をしたり、カードゲームをしたりしたことがある。
「ミラとラウリン王子が結婚しても、誰も祝福しない。お前が、はじをかくだけだ。断りなさい」
 父が私に優しく言う。ラウリンが首を横に、ぶんぶんと振っている。私はフェアナンドを見た。母がなくなってから、私の唯一の味方である兄だ。彼はまよっていたが、やがてゆっくりと微笑する。
「一年程度の付き合いだが、ラウリンはまじめで誠実な男だ。うそはつかない。彼の性格は、君も分かっているだろう?」
 フェアナンドは私の肩から手を離した。私の心は決まった。私はラウリンに向かって口を開く。
「あなたと結婚して、あなたの故郷である緑豊かなアーレ王国へ行きます」
 彼の顔のこわばりがなくなって、明るい笑顔になった。氷の美貌がとけて、日だまりの少年になる。ラウリンはいつも笑うと、雰囲気が変わる。私よりひとつ年上だが、幼くかわいい感じになるのだ。
「本当ですか? 俺の聞きまちがいではないですか?」
 声も弾んでいる。
「はい。本当です」
 私も笑顔になった。私の返答にこんなにも喜んでくれて、うれしい。私の決断は正しかったのだ。
「すぐにあきられて、捨てられるわ」
 リーナが毒づいて、私とラウリンは暗い顔になった。恋愛の経験など、私にはない。離れていくラウリンを引きとめるすべを、私は知らない。
「父上。ミラはラウリンと結婚して、アーレ王国へ行きます。ミラの道中の護衛は、私が勤めましょう」
 フェアナンドがすべてを無視して、父に言った。
「いや、それは……」
 優柔不断な父はまよう。
「私はミラの兄です。彼女を国境まで送るのは、当然です」
 フェアナンドは、にこりと笑う。私は表情を動かさずに、兄に交渉を任せた。彼は賢い人だ。なぜなら父は、結婚の許可を与えていない。
 しかしフェアナンドは私とラウリンが結婚する前提で、護衛の話を進めている。つまり話の論点をずらしたのだ。父はだまされている。カーリーンは父が誘導されていることに気づいたのだろう。憎々しげにフェアナンドを見ている。
「分かった。だがお前は世つぎの王子だ。あまり城を留守にするな」
 父は不安そうだ。
「承知しました。すぐに城へ戻ってまいります」
 フェアナンドは笑顔のまま答える。そして部屋から出ようと、私とラウリンを促した。私たちは、不快な部屋からさっと立ち去った。
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