ロインの川を越えて

戻る | 続き | 目次

  第三話 初めての食事と故郷の子牛  

 翌日、兄のはからいで、私とラウリンはともに、昼食を取ることになった。場所は城の小さな食堂だ。一緒に食事をすることは初めてではないが、ふたりきりなのは初めてだった。
 向かいの席で、ラウリンはがちがちに緊張して、黒パンとジャガイモを口に含んでいる。彼は社交的ではない。おとなしくて、人見知りをする男性だ。
 今日の彼は、銀の長い髪を後ろでひとつにくくっている。紫の瞳は彼が緊張しているせいで、人を突き放すような冷たい雰囲気を出している。氷の彫像のようだ。
(きれいな人だ。彼はいつも、女性たちの関心を集めている。城のメイドたちはラウリンをうわさしているし、リーナは彼に夢中だった)
 ラウリンが金持ちだったら、妹の求婚を断れなかったかもしれない。リーナは、娘を権力のある男と結婚させたい両親によって、恋を捨てるはめになった。
 ラウリンは何もしゃべらない。私も話しづらくて黙っている。気づまりな沈黙に、私は困っていた。アーレの山男は内気で無口。ほれた女を口説かないと聞いたことがある。ラウリンはそのパターンらしい。兄のフェアナンドが女性にほれたならば、
「私と結婚してくれ。私と結婚すれば君と君の家族には、以下の利益がある。まず一つ目は……」
 と理詰めで説得しそうだ。その口説き方もどうかと思うが。ただ彼はほしいものがあれば、それを手に入れるために行動する。
 その兄は今、突然に国境まで私を送ることになったので、旅の支度に追われている。ついでに王国南部の視察もするつもりだ。フェアナンドはほうぼうに手紙を送ったり、城下街で人と会ったりしている。
 私たちのシュプレー王国王都からラウリンのアーレ王国王都まで、馬車で片道一か月半ほどかかる。隣国とはいえ、遠いのだ。
「あなたは、……ど、動物が好きですよね」
 ラウリンが唐突に、しゃべりだした。固い声で、どもっている。
「はい」
 私の声も上ずる。彼の緊張がうつった。ついに会話が始まったのだ。はいと素直に答えたが、これでよかったのか。異性から好かれるのは初めてで、どう振るまえばいいのか分からない。下手なことをして、嫌われたらどうしよう。
 私は明日、ラウリンと城から出発する。なので兄と同じく、旅の準備にいそがしい。私の人生の予定に他国の王子との結婚は、つい昨日までなかった。ラウリンが同じ年ごろの男性と知っていたが、彼を結婚相手として見ていなかった。
 父王に冷遇されている私には、結婚の宴も持参金もない。美しいドレスも宝石もなく、身ひとつで他国へ嫁ぐ。大国の姫なのに、アーレ王国に利益を与えない。ラウリンは私を、嫌になるのではないかと不安だった。
「俺の故郷にいる子牛たちは、人なつこいです。なでると喜びます」
 彼は、つっかえつっかえしゃべった。アーレ王国の高原で、茶色の子牛をなでるラウリンの姿が脳裏に浮かんだ。笑顔の方のラウリンに合う姿だ。彼の素朴な性格に合っている。私はあたたかい気持ちになって、ふふふと笑った。
「私もあなたと一緒に、子牛をなでたいです」
 去年、フェアナンドが王都郊外にある牧場に視察に行った。私はそれについていった。おとなの乳牛は大きいが、子牛は小さくてかわいかった。
 子牛の頭をなでると、子牛は私の腕を舌でなめた。別の子牛は私のスカートのすそを、はむはむと口に入れた。フェアナンドは笑って、子牛をこら! としかりつけ、私のスカートを取り戻した。笑顔のたえない、楽しいひとときだった。
「一度しかなでたことがないので、またなでたいです。子牛が私のスカートを食べたら、次はあなたが助けてください」
 私がお願いすると、ラウリンはほっとしたように笑った。氷の彫像がとけて、肩の力が抜けていく。
「はい。俺が、……その」
 彼はほおを赤く染めて、視線を泳がせる。彼の恋心は分かりやすくて、私は照れてしまう。ラウリンは早口でしゃべる。
「あなたがなでれば、子牛も子馬も犬も喜びます。みんな、しっぽを振ります。俺の犬はビケットと言うのですが、……体が大きくて、ふさふさで、耳が垂れています」
 私はむずがゆい気持ちになる。夢の中にいるみたいに、心がふわふわする。いや、これは都合のいい夢かもしれない。
「私は犬も好きです」
 私も顔を赤くする。顔を赤くするような内容ではないのに。ラウリンは上目づかいで私を見た。
「よかったです。俺の故郷では、犬はワンと鳴きます」
「そうですか。シュプレー王国でも犬はワンと鳴きます」
 私たちは、よく分からない話を続ける。私はテーブルの下で、自分の足をけった。痛かった。夢ではないらしい。そして犬は、どこの国でもワンと鳴く。
 でも卑屈になってはいけないが、私は美人ではない。ラウリンに好かれるために、自分から動いたわけでもない。なのに彼は、私を妻に望んでいる。
 この幸運を手放したくない。幸せすぎて怖い。リーナが私の幸せを奪いそうだ。妹は私に攻撃的だ。私が正妻の子で、自分が妾の子だからねたんでいるのだろうと、フェアナンドは言う。
 リーナのことを考えると、はやくアーレ王国へ行きたい。かわいい子牛をなでて、嫌な予感を振り払いたい。一度も行ったことのない外国で、不安もあるのに。
「俺の産まれ育った城は、この城ほど立派ではありません」
 ラウリンが落ちこんだ様子で言う。
「バラを見るために庭を歩くと、どこからともなく牛が現れて、花や草を食べます。その場でフンを出すこともあります」
 のどかな光景だと、私は好ましく思った。それにアーレ王国の王族は、家庭的なあたたかい雰囲気と聞く。母は死に、父に冷遇されている私には、うらやましかった。
 だがラウリンは肩を落としている。彼は私が、アーレ王国を嫌になると心配しているのだ。私のことが好きだから、臆病になっている。彼に好かれていると分かるたびに、私のほおは熱を持つ。
 なぜこんなにも好いてくれるのだろう。私にはもったいなくて、ただうつむいた。けれどおそらく、私とラウリンは同じなのだ。たがいに嫌われたくないとおびえている。恋に不慣れで、どう振るまえばいいのか分からない。
「私はあなたを、――あなたの国も生まれ育った城も、嫌いになりません」
 私は顔を上げて、はっきりと言った。ラウリンは少し驚いている。
「私こそ、なぜ私を好きになってくれたのだろう、あなたに嫌われたくないとおびえています。兄から聞いているでしょうが、持参金はないです。私ひとりがアーレ王国へ行くだけです」
戻る | 続き | 目次
Copyright (c) 2020 Mayuri Senyoshi All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-