ロインの川を越えて

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  第一話 留学中の王子と突然の求婚  

「確かに、俺の国は田舎です。人間よりも、牛や羊の方が多いです。領土もせまく、国土の南半分は人を寄せつけない大山脈です」
 隣国の王子ラウリンは、静かに語った。彼はソファーに座り、ひざの上に置かれている両手は、しっかりと組まれている。
「この大国に比べれば、すべてが見劣りします。だから俺は一年間、自国の発展のために、この国で税制度や法律などを勉強しました」
 紫水晶に似た瞳が、暗くかげる。彼の矜持が傷つけられていることは、部外者の私にも感じとれた。なのに、ラウリンの隣に座っている私の異母妹リーナは、楽しげに笑っている。
「だから、そんなつまらない国に帰る必要はないと言っているの。私と結婚して、この国にずっといればいい」
 彼女は無邪気に提案する。気弱なラウリンの顔には、「嫌だ」と書かれていた。本人にその気はないのに、彼はリーナのお気に入りだ。
 長い銀の髪を持つ美貌の王子だ。ラウリンは十九才で、十六才のリーナと結婚するにはちょうどいい。だが都合がいいのは年齢だけだ。ラウリンの気持ちはリーナにない。
「あなたは、すごくきれいな王子様。この恵まれた私の国には、あなたの国にはないすべてがある。大陸でもっとも繁栄している、太陽の沈まぬ国」
 リーナは自慢の金髪を揺らして、ごう慢に言う。私は静かに、ため息をはいた。妹は何も分かっていない。豪華なドレスで着飾り、周囲から王国一の美女と言われていても。
 いや、そうやって、国王の父が末娘の彼女を甘やかすから、こんなにも自分勝手な性格になったのか。リーナは父におねだりすれば、すべてが手に入ると思っている。
「俺は予定どおり、二日後に故郷へ帰ります。俺の帰りを、みんなが待っています」
 ラウリンはうつむいて、言葉を落とした。リーナは、いらだたしげに歯がみする。形よく整えたまゆを上げた。
「分かった。私があなたの国へ嫁ぐ。牛にも羊にも、なまりだらけの田舎の民衆にも我慢する。でも私は絶対に、あなたの国に染まらないから」
 羞恥と情けなさで、ラウリンの白いほおが赤く染まる。私は怒って、向かいの席にいるリーナに口を開こうとした。だが、その前に、
「リーナ。君はもう話すな。不快なだけだ」
 私の隣に座っている兄のフェアナンドが、妹をしかりつける。彼のくすんだ緑色の瞳は、怒りをたたえていた。私は、この場はフェアナンドに任せる。兄は二十二才で、世つぎの王子でもある。リーナはほおをふくらませて、黙った。
 私たちは、富める大国の王子と王女だ。しかし、だからといって、他国をバカにしていいわけではない。むしろ大国の王族だからこそ、節度を求められる。私たちのふるまいが、国と国のいさかいになることもあるのだ。
「父上。リーナのざれごとに付き合うのは、やめてください。ラウリンはリーナの恋人になりません。結婚もしません。彼は国へ帰ります」
 フェアナンドは、ひとつのソファーに並んで座る父とその愛妾に向かって、厳しく話した。ラウリンは頼るように、フェアナンドを見ている。父は面倒そうに、ぼやいた。
「ラウリン王子はまじめで優秀だ。田舎の出とは思えないほどに、見目も麗しい。彼の出身があの小国でなければ、リーナの夫としてふさわしかったのに」
 父の発言は礼を失している。私と兄は再び、怒りを覚えた。ラウリンは城で税務官見習いとして働きつつ、わが国の政治、学問、文化などを学んでいる。素直で勉強家の彼は、周囲から好かれている。
「父上、今の発言はラウリンの友として、看過できません。失礼にもほどがあります」
 フェアナンドはきつく言う。父はぼんやりと、まぁ、いいではないかと笑った。ラウリンは黙って耐えている。私は父をひっぱたいてやりたい。
「リーナ。ラウリン王子はあきらめなさい」
 父は優しく言う。
「嫌よ!」
 リーナは勝気にさけんだ。
「お前には、もっといい縁談がたくさんある。昨日も、びっくりするような結婚の申し出が来た。お前はミラとちがって、美しい娘だから」
 父は目じりを下げる。リーナはふんと鼻をならして、私を見た。ミラというのは、私のことだ。私は容姿に恵まれず、縁談にも恵まれず、今、十八才だ。
 赤色の波うった髪。髪は長いが、男のような顔をして声も低い。瞳の色はくすんだ緑。私ほど、ドレスの似合わない女もいないだろう。卑屈になってはいけないと分かっているが、私は自分の顔が嫌いだった。
「付き合いきれません」
 フェアナンドは冷たい目で、父とリーナを見た。それから席を立つ。
「ラウリン、ミラ。君たちも、これ以上付き合う必要はない」
 私は兄に従い、立ちあがった。ところがラウリンは動かない。彼はまよった表情で、私を見ている。何だろう。ラウリンは昨日から、ものいいたげに私を見ることが多い。彼は口を開いた。
「俺と結婚して、故郷へ一緒に帰ってください」
 予想外の言葉に、私の目は点になる。思わず、は? と声を出すところだった。フェアナンドも、ぽかんと口を開ける。リーナも口を間抜けに開けていたが、私を指さしてしゃべった。
「こんな不細工に、何を言っているの?」
「リーナ。君には黙れと言った」
 フェアナンドが吐き捨てるように言う。いきなり当事者になった私は、リーナを相手にするどころではない。私はとまどって、兄の腕を引っ張った。フェアナンドは、私と同じく当惑している。けれど落ちつきを取り戻して、ラウリンに問いかけた。
「君はこんな冗談を言う男ではない。いつから……、いや、なぜ今、この場所でいきなり求婚するんだ?」
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