リオノスの翼 ―少女とモフオンの物語―

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  3−1  

 翌朝、シフォンは眠い目をこすりながら、医療小屋でガトーに事情を説明した。事情とは、シフォンがサラの巣穴から、――瞳の家から朝帰りした事情だ。
 朝、少女とともに山から下りて集落に着いたとたん、シフォンたちは大注目を浴びた。だが面と向かってたずねる者はおらず、なんとも言えないまなざしをしていた。しかしガトーのみは集落の最年長者として責任を果たすべく、シフォンを呼び出した。
 ちなみに瞳は、そのような奇妙な雰囲気を感じ取らなかったらしい。無邪気な顔をして炊飯小屋に行き、食事作りの手伝いをしている。今ごろ何を、まかない係のロールやリームと話しているのか。想像するだけで、胃が痛い。
「何もなかったのかね?」
 ガトーのあきれたような質問に、シフォンは大きくうなずいた。ふたりは向かい合って、いすに座っている。
「あるわけないでしょう。サラがそばにいるのに」
「まぁ、そうだが」
 テーブルの向こうで、彼はあごをなでる。シフォンは集落中を回って、誤解を解きたかった。が、こういうことは否定すればするほど、疑わしくなるのが世の常だ。
 シフォンにとって瞳は、妹みたいな存在だった。サラにいやされて、ガトーやロールたちの助力によって、大丈夫になっていくのを見守っていた。それに、異国の少女がリオノスとたわむれる姿は、ひとつの美しい絵物語のようだった。
 けれど、そんな優しくて暖かい世界は突然、壊れた。瞳は悪夢にうなされ、みずからの純潔を疑っていた。保護区に来る前に、少女がどんな恐ろしい目にあったのか。シフォンはそれを分かっているつもりだった。けれど実際には、理解できていなかったのだろう。
 瞳に暴行を与えた人々が、殺したいほどに憎い。このことによって、少女が後ろ指をさされることが許せない。こんな強い感情が、自分にあると思わなかった。
 シフォンは自他とも認める受容的な人間で、誰かに逆らってまで何かをすることはなかった。首都で同じ年ごろの若者たちとも交流したが、科学に夢中な彼らをまったく否定しなかった。自分の仕事をばかにされても、苦笑するのみだった。
「瞳は僕を、どう思っているのでしょう?」
 シフォンは肩を落として、いすの背もたれに体重を預ける。確実に、兄か父だろう。シフォンはこういう性格なので、女性から危険な男扱いされたことは一度もなかった。
「さぁねぇ」
 ガトーは、にまにまと笑う。ついで、いい傾向だとつぶやいた。
「昨夜はモフオンを、六百四十六匹まで数えました」
 鏡を見なくても、自分の目の下にクマができているのが分かる。
「相当、眠れなかったのだね」
 ガトーはシフォンに同情した。モフオンは、物語の中にしか存在しない幻獣だ。建国伝説に、リオノスの使いとして登場する。リオノスの小さくなった姿をして、大きさは猫程度だ。白い翼をぱたぱたと動かした、かわいらしい姿で描かれる。
 外見の愛らしさから、子どもたちに大人気だ。モフオンのぬいぐるみや、モフオンの刺しゅうが入った赤ちゃんのおくるみは、この国では一般的だ。シフォンも、しっぽのひもを引っぱって離すと翼を動かす、ぜんまいじかけのおもちゃで遊んでいた。
「それでは僕は、研究小屋へ戻ります」
 シフォンは、いすから立ち上がろうとする。するとガトーが呼び止めた。
「ほかにも用がある。君が朝ねぼうしている間に、これが届いた」
 テーブルのはじに置いてあった一通の手紙を取り、差し出す。
「すみません」
 シフォンは身を小さくして受け取る。なんせ朝、目覚めたときにはリオノスはおらず、瞳がシフォンをひざまくらしていた。おはようございますとほほ笑まれて、とてもではないが返事できなかった。
 シフォンは気持ちを切り替えて、封筒を見る。文字が読めるのは、集落ではシフォンとガトーだけだ。首都にある城からの便りだ。便せんを取り出して読み進めるとともに、これは困った事態だと悟った。
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