リオノスの翼　―少女とモフオンの物語―

　　２−３　　

集落には，八つの小屋がある．
それぞれに，医療小屋，炊飯小屋，宿泊小屋，研究小屋，洗濯小屋などと名前がついている．
昼間に集落にいるのは二十名ほどの大人たちで，子どもは瞳しかいない．
しかし実際に住んでいるのは，ガトーやショコラを含め六名だけだ．
残りはみんな，近くの村から通っている．
だが仕事が遅くなれば宿泊小屋に泊まる者も多いので，集落には常時十名ほどが寝泊りしている．
シフォンは，村はずれの家から馬で通っているという．
そしてたいていは山でリオノスを観察しているか，研究小屋で論文を書いている．
瞳はあっという間に，――そもそも集落はせまい，医療小屋から研究小屋までたどり着いた．
けれど，小屋に入りづらい．
つまり，シフォンと顔を合わせにくい．
玄関先でうろうろしていると，先ほど医療小屋で会ったビターと，飼育員のタルトがやってきた．
タルトは年かさの男性であり，ビターと並ぶと父子に見える．
「どうしたんだ，瞳？」
「先生とけんかしたのかい？」
ふしぎそうに問いかける．
「いえ，ちがいます．」
どう説明すればいいのか，瞳は困った．
「若先生を呼ぼうか？」
首を振る．
「ガトー先生がいいかい？　それとも炊飯小屋のロールを頼るかい？」
ロールは自分の娘のように，瞳をかわいがってくれる．
実際に彼女には，瞳と同じ年ごろの娘が四人もいるらしい．
「ありがとうございます．でも，何でもないのです．」
しかしタルトたちは考えこんだ．
そしていたわるように，
「今日はもう，山に帰るかい？」
「サラのところまで送ろうか？」
と提案してきた．
「シフォンさんに会うのが恥ずかしいのです．」
瞳はついに告白する．
二人は目を丸くした．
「なぜ？」
瞳は言葉に詰まって，顔をぼっと赤くする．
すると彼らは，はっとして目を見張った．
「そうか！」
耳打ちをして，「なるほど．」とか「あー，分かった．」とか言い合う．
「誤解です，誤解ですったら！」
瞳はおろおろと，二人の周りを回る．
ビターたちはご機嫌な笑顔だ．
「瞳．俺たちは，君と若先生に期待しているんだ．」
瞳は首をかしげる．
シフォンは理解できるが，瞳に何を期待するのだ？
周囲の世話になるだけの子どもだ．
「ここにいるのは君たちをのぞいて，おじさんとおばさん，おじいさんとおばあさんばかりだろう？」
うなずいていいものか，瞳は悩んだ．
確かに保護区には，瞳とシフォン以外，子どもも若者もいない．
「若者は，幻獣の保護という仕事には魅力を感じないのさ．」
給料も安いしね，とタルトは苦笑する．
「みんな都会に出て，蒸気機関だの電気だの，機械いじりをやりたがる．」
ビターが続きを引き取った．
「だから十年後二十年後の，保護区の中心は君と若先生さ．いや，君たちしかいない．」
想像以上に大きなものを期待されていると知って，瞳はおじけづいた．
「私は，何の役にも立ちません．」
人間としてまっとうな生活さえできていないのに．
「この集落で，一番リオノスの気持ちが分かる人が何を言うんだ？」
ビターはおかしそうに笑う．
「リオノスの雌雄や年齢がぱっと見ただけで分かるのは，君とガトー先生ぐらいじゃないか．」
「私はリオノスに甘えているだけです．」
瞳は反論した．
「いいのだよ，君はまだ子どもだから．今は守られていればいい．」
タルトは目にしわを寄せて，ほほ笑む．
「俺たちの仕事を少しずつ覚えて，ついでに若先生と清らかな愛をはぐくめば．」
うんうん，とビターはうなずくが，瞳は異議を唱えた．
「シフォンさんに迷惑ですから！」
こんな計画を知ったら，彼は嫌がるだろう．
「そうかなぁ？」
ビターは首をひねった．
「俺はてっきり，研究ばかりで女気のない先生のために，サラが瞳を連れてきたと思ったけれど．」
「そうそう．保護されているリオノスなりの恩返しというか．」
タルトも笑って，同意する．
瞳はつい，その説を信じそうになった．
が，そんな都合のいい話はない．
シフォンの恋人にするなら，瞳よりもふさわしい娘がいっぱいいるはずだ．
どんな理由があって，あんなに汚かった瞳を選ぶのか．
サラはただ，瞳を助けただけなのだ．
「私なんか，だめです．」
ビターたちは笑いながら，瞳の頭をぐしゃぐしゃとなでた．
「すまない，からかいすぎた．」
「落ちこまないでくれ．」
瞳は否定しようとしたが，二人はそそくさと逃げていく．
「若先生と仲よくするんだよ！」
と手を振って．