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魔術学院マイナーデ

名の無い少年05

重い扉を,初めて自分から開いた.
「リーリア,君を愛しているんだ.」
それは確かに,そうなのかもしれない.
彼女を19年間も拘束しつづけたのだから…….

リーリアが国王の寝室に入ると,在位7年にわたる壮年の王はベッドに居るにも関わらず書き物をしていた.
ベッドの脇に置かれた卓の上で,病床の身体を少しだけひねって.
国王の決裁が必要な書類なのだろう,卓の上には国璽が置いてあった.
「誰だ?」
突然部屋に入ってきた,金の髪の幼い少女に鋭い視線を投げる.
「何の用だ.」
まったくの他人を見る国王の顔,リーリアはその瞬間,何かが解けてゆくのを感じた.

19年間彼女を縛っていた想いが,いとも簡単にほどけてしまう.
「初めまして,国王陛下.」
悲しいわけではないのに,深緑の瞳から涙が溢れる.
ぼろぼろと涙を流しながら,しかしリーリアはにこりと微笑んでみせた.
「私の名はリリューシャ・クイントです.」
国王は6歳になったリーリアのことが分からなかった.
こんなにも息子の幼い頃に似た容姿をしているのに.
「どうぞリリーとお呼びください.」
愛しているわけではなかった,そう,愛しているわけなどない.

国王は,泣き笑いの顔で微笑む少女に怪訝な顔をする.
もしも真実,国王がリーリアのことを愛しているのならば,嫌がる彼女を無理矢理に抱いたりしなかったはずだ.
ましてや,罪人のように閉じ込めたりはしなかったはずだ.
「ずっとあなたの側に,あなたのお世話をさせてください.」
それでも,一目で自分のことをリーリアだと分かってくれるのかもしれないと思った.
そして期待を裏切られたくせに,なぜか最後まで側に居たいと感じた.

愛してはいない,そして愛されてもいない.
「世話……? まさか医者か?」
恋人のような眼差しで自分を見つめる少女に,国王は困惑する.
金の髪,深緑の瞳の幼い少女,全くの初対面のはずなのだが……,
「違います,陛下.」
だからリーリアの中にあった,王に対する憎しみはほどけてしまった.
掴もうとしても流れる水のようにこの手をすり抜けてゆく,殺してやりたいとさえ思った男だったのに.
「ただあなたの側に居たいのです.」
残ったのは,先の短い男に対する憐れみだけ.

愛されていたからこそ,憎みつづけることができた.
その証拠に,タウリに対する憎しみはすぐに無くなってしまったのだから.
リーリアが部屋から出ると,心配顔のカイゼが廊下で待っていた.
王宮騎士であり,第二王子イスファスカのマイナーデ学院での友人のうちの一人.
「リーリア様……,」
青年の同情的な声に,リーリアは小さく微笑んだ.
光と影のような兄弟,光に愛されて影に捉われて,……今,その両方をリーリアは手放した.
「大丈夫よ,カイゼ.……陛下は私のことが分からな,」
ふいにこみ上げてくる嗚咽に,リーリアは慌てて両手で口を抑える.

ずっと閉じ込められてきた.
いったい,何のために…….

「楽しそうですね,イスカ殿下.」
薄水色の髪の青年は,呆れたように肩を竦める.
シグニア王国軍の陣営,第二王子のテントの中で.
「そりゃな,今ごろライムがどんな顔をしてサリナに言い寄っているのかを考えると,」
くつくつと,赤毛の青年は笑いをかみ殺す.

暗い顔をした弟に「落ち込んでいる暇があったら,口説き直せ!」とはっぱをかけると,驚いたことに少年は「分かっているさ.」と言い返した.
「いやぁ,あいつも大人になったものだ.」
背の低い小さな台に向かってちょこんと正座をして,イスカは手紙を書き綴る.
これは明日の朝,ティリア王国軍に送りつけてやるものだ.
「それどころか,意外にライム殿下は手が早いですよ.私は少しサリナが心配です.」
スーズは無遠慮に手紙を覗き込む.
身分の差に関わらず,この二人は友人同士であった.
「イスカ殿下,」
つと真面目な表情になって,スーズは王子の顔を見上げる.
「ライム殿下は,もっと字がおきれいですよ.」
するとこの赤毛の青年にしては珍しく,本気で傷ついた顔になってしまった…….

どっぷりと日が暮れてから,やっとライムとサリナはケイキ村にたどり着いた.
暖かな橙色の,点在する家々の明かり.
7年ぶりの故郷の風景に,少女は胸が熱くなった.
この明かりのうちの一つに,少女の両親が居るのだ.
「あ,あそこ! 私のうちはあそこ!」
馬上で子供のようにはしゃいで,ある一つの明かりを指差す.
「分かった.」
言葉少なに答えて,少年は馬を歩かせる.
両親との再会に心躍らせながら,少女は少年が自分をきつく抱き寄せていることに気づいた.

「ライゼリート?」
金の髪の少年の顔を見上げると,容易く唇をふさがれる.
あまりにも自然に降りてくる唇に,抵抗などできない.
名前さえ忘れてしまった少年に,出会ったばかりだとしか思えないのに,もう何度も唇を許してしまっている.
「戦争が終わったら,迎えに行く.」
少女は半ば夢見ごこちで,少年の声を聞いた.
こつんと頭を少年の胸に預けると,大きな腕の中に包み込まれる.

「そのときに,もう一度結婚を申し込んでもいいか?」
それは質問ではなく,肯定しか考えていない確認の言葉だった.
「わ,私ね,」
少女はぎゅっと強く,自分の想いを伝えるほどに強く,少年に抱きつく.
あのノートの文章はやはり,この少年が書いたものだったのだ.
「好きだよ,すっごく好きだよ,」
人見知りをする子でね,仲良くしてやってくれないかい?
脳裏に失われた記憶が,微かに映ったような気がした.
「ごめんね,」
愛称はライム,私のたった一人の孫だ.
「……ライムのことを忘れて.」

……のことなんか,忘れさせてやるよ.
それは無理だよ,ユーリ.
この想いを忘れることなんてできない,

サリナの家の玄関口まで来ると,少年はさっと馬から降りる.
少年の身のこなしは,どことなく品の良さを感じさせる.
丁寧に少女を馬から降ろしてやると,少年は掠めるように少女の額にキスをした.
「じゃぁ,俺は戻るから.」
すぐに馬に乗ろうとする少年を,少女は慌てて引き止める.
「待って,こんなにも真っ暗なのに,」
夜道を走って,少年は陣営に戻るつもりらしい.
「明かりなら,魔法で作る.」
少年が手をかざすと,何も無い空間からうっすらと光を放つ白銀の杖が出現した.
少年の身長ほどある細長い杖で,ぞっとするほどの魔力が発散されている.

「でも休まないと,そうだ,私の家で,」
少女はなんとしてでも,少年を行かせたくなくなった.
闇に溶け込む少年の黒一色の軍服,戦場での武器にするであろう魔法の杖.
「私……,」
戦争など知らない,大人たちの昔話に出てくる程度だ.
「私,……私もついて行っちゃ,駄目!?」
少女は少年の胸にすがりついた.

「何の役にも立たないけど,でも,でもね,魔力だけはいっぱいあるから,」
すると少年にそっと抱き寄せられる.
「……今度は必ず守るから,」
囁くような少年の声には,後悔がにじみ出ていた.
「あ,あの,」
少女の戸惑いを無視して,少年は一人で勝手に誓いを立てる.
「もう二度と怖い目には遭わせない.」
「ついていっても,いいの?」
少女が上目遣いで訊ねると,金の髪の少年はにこっと微笑んだ.

「誰だ! 人の家の前で何を騒いでいる!?」
その瞬間,少女の家の扉がいきなり開いた.
薄茶色の髪の,すこし腹の出っ張った中年の男だ.
「お父さん!?」
少女の声に,男は淡い緑の瞳をめいいっぱい見開く.
「サリナ!?」
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