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魔術学院マイナーデ

名の無い少年04

「いいかげん,名前を教えてくれませんか?」
「嫌だ.」
もうすでに何度も,このやりとりを続けている.
少女はむぅっと唇をとがらせて,少年の横顔を見つめた.
村へと続く草原を,二人手を繋いで歩いている.

ある程度馬を走らせると,少年は馬から降りて,少女も降ろしてやる.
馬の手綱を引いて,ゆっくりと徒歩で歩き出す.
少年が当たり前のように手を握ってくるので,少女も当たり前のように握り返す.
そして少年は少女が歩き疲れた頃合を見計らって,再び馬に乗って走り出すのだ.

それを2,3度繰り返すうちに,少女には少年の気遣いが分かる.
少年は馬に乗りなれない少女のために,こんなゆっくりとした旅をしているのだ.
歩いているときだって,少女の歩幅にさりげなく合わせている.
ぶっきらぼうな態度のくせに,ものすごく優しい.
だからこそ,名前を教えて欲しいのに……,
「じゃぁ,ヒントをくれませんか?」
ふと思いついて,少女は薄緑色の瞳を輝かせた.
「名前の最初の一文字を教えてくださいよ.」
「はぁ?」
金の髪の少年は,思い切り顔をしかめる.

「俺の名前は,当てものかよ.」
少年はげんなりとして,ため息を吐く.
無くしてしまった記憶について,この少女はあまり真剣に悩んでいないらしい.
「お願い! それがきっかけで思い出すかもしれないじゃない!」
両手を合わせてポーズを作り,少女は少年の顔を下から覗き込んだ.
すると少年はぴたっと立ち止まり,しかしすぐに再び歩き出す.
「ラ,だ.」
「ラ?」
少年の少し照れたような声に,少女は首を傾げた.

「ラキ,ラオ,ラッセル?」
少女は思いつく限りの名前を列挙する.
「ライネ,……ラティン,あとは何があるかなぁ.」
「サリナ,思い出す気があるのか?」
少年の声音が,本気で不機嫌なものとなってゆく.
「あ,あります!」
少女はぎくりとして,言い返した.
サリナにはこの少年が初対面ではないことさえ,いまいち自信が持てないのだが.

けれど……,
「私は,あなたのことを……,」
少女がつぶやくと,少年がじっと顔を見つめてきた.
きらきらと輝く金の髪,深い緑の瞳は見つめていると吸い込まれそうだ.
「あ,あの,あの,あなたにとってはどうでもいい話だけど,」
少女は真っ赤になって,自分でも笑えるくらいにどもる.
「ど,どう思っていたのかなぁ,なんて…….」

少年は再び前方を向いて,歩き出した.
少女の手を掴み,痛いくらいに握ってくる.
「俺はサリナの同級生だ.」
「マイナーデ学院の?」
少女の問いに,少年は頷く.
「……ということは,貴族!?」
少女は慌てた,貴族の少年に対して自分は何と無礼なことをしているのだ!?
「ごめんなさい! じゃない,申し訳ございません,知らな,存じ上げなかったとはいえ,数々の無礼な振る舞い,」
「俺は貴族じゃない.」
少女の言葉をさえぎって,少年は淡々と述べた.

「あ,違うの……?」
少年の台詞に,少女は一気に拍子抜けする.
「なぁんだ,焦らせないでよ.」
ばしっと陽気に少年の肩を叩く.
「それじゃ,私と同じ平民なんだね.」
貴族ではないということは,この少年は少女と同じく平民であろう.
ということは,少女とこの少年はマイナーデ学院におけるただ二人っきりの平民生徒だったのだ.

仲が良かったに決まっている,友達だったのだろう.
"卒業したら,サリナの村へ一緒に帰ろう."
少女は,ふとノートの落書きの言葉を思い出す.
あのノートはサリナの古代語の授業のノートだ,ということは筆談の相手は……?
「あああああ,私ってば何を期待しているの!?」
いきなり少女は頭を抱え込んで,叫びだした.
金の髪の少年が,ぎょっとして足を止める.

「い,いきなりだけど,あなたは字がきれい!?」
突拍子の無い少女の質問,少年には少女が何を考えているのかさっぱり分からない.
「いったい何の話だよ.」
「そ,そうよね,私,何を言っているのかしら?」
少女はごまかすように,わざとらしい笑い声を立てた.

「えっとね,えぇっとね,」
少女はできるだけ軽い調子で訊ねようと試みる.
「もしも違ったら,軽く受け流してね,」
しかし実際は声は裏返り,手は汗だらけである.
「私たちって,実は恋人同士だったりして……,」
真面目な顔で見つめてくる少年に,少女の心臓はどくんと鳴った.

「試してみるか?」
「え?」
強く腰を抱き寄せられて,少女の胸は早鐘のように鳴り響く.
「恋人だったのかどうか.」
頬に触れてくる指に心臓がうるさい,鳴り止まない.
口付けしようと少年が顔を傾けると,金の髪がさらっと揺れる.
途端に少女の頭は沸騰した!
「ま,待って待って,私,心の準備が!?」

「それに,キ,キスなんて,そんな試すなんて,」
しかし待てど暮らせど,唇は降りてこない.
少女がそっと少年の顔を見上げると,
「嫌がっているのに,するわけないだろ?」
金の髪の少年はぷっと吹き出して,楽しそうに笑い出した.
「か,からかったわね!?」
笑うと少年は,素直な幼い子供のような印象になる.
少女は顔を真っ赤にさせて,言い返した.
「嫌がってなんか無いもん!」

はっとしたように,少年が笑いを収める.
自分の失言に気づいて,少女はぶんぶんと首を振った.
「ち,違う,今のは無し! 忘れて!」
「……無理.」
少年はさっとそっぽ向いて歩き出す,少女の手をしっかりと握り締めて…….
記憶は無くせても,気持ちは無くせない.
自分がこの少年をどう思っていたかなど,考えるまでも無い.

「ごめんなさい,」
少女は初めて,心から少年に対して詫びた.
「あなたのことを忘れてしまって…….」
「別にいい.」
少年が背中を向けたままで答える.
「サリナが,俺のことを……,」
言葉の続きは,口にするのがえらく恥かしい.

変わりに少年は,少女の方に体ごと向き直った.
「ライゼリートだ.」
少女はきょとんとする,しかしすぐにそれが少年の名前であることに気づいて顔をほころばせる.
「古代語で"理性の光"だね.」
少女は単純に,少年の金の髪からその名が付けられたのだと思った.
「母が願いを込めてつけた名だ.」
そっと重なる唇に,もう言葉は要らない.
平民にしては,仰々しい名前だとさえ思えなかった…….
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