魔術学院マイナーデ

名の無い少年03

いつの間にか，知らない場所に居た．
それは少女にとって，そんなにも驚くことではない．
なぜなら魔力を暴走させてとんでもないことを引き起こすのは，サリナの子供の頃からの十八番だからだ．

「兄貴，……イスカのことは覚えているんだな？」
出会ったばかりの金の髪の少年が，少女をにらみつけるようにして訊ねる．
「はい……．マイナーデ学院での先輩ですから．」
整った目鼻立ちの，なかなかハンサムな少年だ．
少年は一つため息を吐いて，立ち上がった．
「呼んでくる，待っていろ．」
「あ，」
少女が呼び止めようとするのを無視して，少年はテントから出て行った．
「名前，聞きたかったのに……．」

テントに一人残された少女は，所在無さげにうろうろと歩き回る．
外を覗いてみようとも思ったが，少年の言葉を信じておとなしく待とうと決める．
「ん？」
ふと少女は服の胸ポケットに，何かが入っていることに気づいた．
覚えていない，抜け落ちた記憶の一部．
ノートを破ったものらしい，きれいに四つ折りにされている．
いったいなんだろうと，開いて見てみると，
「なっ，何よ，これ……！？」
そこに書いてあったのは，まぎれもない求婚の言葉だった．

"ずっと一緒に居よう．"
見知らぬ筆跡の文字に，少女の顔は真っ赤に染まる．
"卒業したら，サリナの村へ一緒に帰ろう．"
いったい，誰がこれを書いたのだ？
流れるような繊細な文字に，少女の頭は混乱するばかりだ．
"ミレー山脈から昇る朝日を，サリナの隣で眺めたいんだ．"

くどき文句に，顔がのぼせ上がるほどに熱くなる．
「あ，朝日って……！？」
これは，つまり……，
「サリナ？」
「は，はいぃ！？」
後ろから呼びかけられて，少女の声は完璧に裏返った．
慌てて紙をポケットに仕舞い，振り返る．
テントの入り口には，懐かしい赤毛の青年が立っていた．
「イスカ先輩！」
サリナたち下級生にとっては，まさに憧れの先輩だ．
大きなたくましい体，けれどいつまでも少年のようなこげ茶色の瞳．

「おひさしぶりです！　あ，ユーリの家から助けてくれてありがとうございました！」
少女は青年に駆けより，そして慌ててお礼を述べた．
すると頭をぽんと撫でられる．
「サリナ，卒業以来だな．身体は大丈夫か？」
サリナとイスカの再会は，ライムの幻獣の儀式のときである．
青年は，記憶を失ったらしい少女にカマをかけてみた．
「はい！」
少女は元気よく返事する．
どうやらサリナは恋人に関することはすべて，すっぱりと忘れてしまったらしい．

赤毛の青年の隣で，ライムが顔をさらに険しくさせる．
自分のことは忘れてしまったのに，兄のことは憶えているとはおもしろくない話だ．
「サリナ，ここは西南地方の国境地帯だ．」
イスカは，少年の表情の変化に戸惑う少女に場所の説明をしてやる．
「ティリア王国が攻めてきたことは知っているか？」
少女は神妙に頷き，そして不安そうに青年の顔を見上げる．
「まさかここは……，」
「そうだ，ここは戦場となる．」
少女はさっと顔を青ざめさせた．

「私，なんて所に……，」
覚えが無いとはいえ，こんな場所に来るなんて……！
「すみません，ご迷惑をおかけして！」
少女は，がばっと頭を下げる．
「すぐにマイナーデ学院に帰ります！」
すると青年が少女をなだめるように言う．
「まぁ，落ち着け，サリナ．……マイナーデ学院に帰るといっても，どうやって帰るつもりなんだ？」
イスカの台詞に，少女は「あ，」と声を漏らした．

シグニア王国西南部にある戦場から北西部にあるマイナーデ学院まで，サリナにはどうやって帰ればいいのか分からない．
それに，もしやここは少女の故郷の近くなのでは……．
「……どうしよう．」
少女が，おろおろと視線をさまよわしていると，
「俺がケイキ村まで送るよ．」
驚いたことに，金の髪の少年が少女の故郷の村の名を口にした．
「それで戦争が終わったら，今度はマイナーデ学院まで連れてゆく．」
「え？　でも……，」
少年の申し出はありがたいのだが，見ず知らずの少年にそこまでしてもらうわけにはいかない．
「馬で走れば，日が落ちるまでにサリナの村へ着く．」
「そんな，……助かりますが，そこまでご好意に甘えることは……，」
少女は，困ったように視線を赤毛の青年に向ける．
「サリナ，大丈夫だ．こいつが君に危害を加えることなんて決して無い．」
青年はおおらかな笑みを見せた．

「むしろこいつは君の下僕だから好きなように使ってやってくれ．」
「へ？」
イスカがばんばんと少年の背を叩き，少女が素っ頓狂な声を上げる．
「下僕って……？」
「こんな馬鹿の言うことを本気に取るな！」
金の髪の少年が真っ赤になって怒鳴った．
「行くぞ！」
「ひゃぁ！？」
そして乱暴に少女の手を取り，テントの外へと連れ出す．

そうしてずんずんと，少女を引きずるようにして歩く．
一歩外に出ると，王勢の兵士たちが興味津々といった態で少年と少女を見つめてくる．
ここは本当に戦場なのだ．
少女は場違いな自分を，心から恥かしく思った．

「あのっ，……名前，名前を教えてください！」
強引としかいいようのない少年に，少女は少し声を張り上げて訊ねる．
大またで歩く少年に，小走りでついていかなくてはならない．
「嫌だ！」
少女としては当然の要求だったのに，思いっきり不機嫌な声で返される．

少女はむっと，少年の背中をねめつけた．
「……以前，お会いしました？」
先ほどの話から，この少年と自分は初対面では無いらしい．
今度は少年は，少女の問いには答えなかった．
黙って，少女を簡易馬場に連れてゆく．
そして一人で勝手に適当な馬を見繕うと，
「騒ぐなよ．」
と言って，いきなり少女を抱き上げた．

「……っ！」
子供のように抱き上げられて，少女は真っ赤になる．
するとすとんと馬の背に乗せられた．
そして胸の動悸が治まらないうちに，少年が少女の後ろに乗り込んでくる．
「ご，強引だって，よく言われませんか？」
片手で手綱を握り，片手で少女を抱き寄せて少年は答えた．
「言われたことは無い，……走るぞ！」
「きゃぁあああ！？」
馬が高々と前足を上げて，すぐに全速力で走り出す．
飛び跳ねるように走る馬に，少女はしっかりと少年に抱きついた……．