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魔術学院マイナーデ

名の無い少年02

イスカとスーズ,そして兵士たちにからかわれながら,ライムはいまだ意識の戻らないサリナを抱いてテントの中へと連れて行った.
10代のライムは彼らにとって弟のような,下手をすれば息子のような存在である.

少年が少女を,テントの中の寝床にそっと寝かせると,
「詳しい事情をお話しますね.」
とスーズが言って,イスカと連れ立って出てゆく.
少年は慌てて追いかけようとしたが,呆れた顔をした兄に追いやられた.
「馬鹿.サリナが目覚めたときに,お前が居てやらないでどうするんだよ.」

確かにそのとおりである,少年は思わずうっと言葉に詰まる.
「リーリア様にはカイゼがついていますから,大丈夫ですよ.」
カイゼとは兄イスカのマイナーデ学院での同級生で,王宮騎士の青年である.
スーズの優しい笑顔に「ありがとう.」とだけ答えて,少年はテントの中へと戻った.

弟の姿が消えた後で,赤毛の青年は口を開く.
「驚いたが,正直言って助かったぞ.」
いくら魔法を上手く扱うといっても,金の髪の少年には絶対的な魔力が少ない.
最初の戦闘での派手な魔法も,うまく幻術を用いてごまかしたぐらいだ.
そして少年には,守護竜がついていない.
けれど王子という立場上,陣頭に立たなくてはならない.
ライムとサリナは本人たちが考えている以上に,足りないところを互いに補い合える組み合わせなのである.
「リーリア様のおかげですよ.」
スーズは歩きながら,話を始めた.

人形のようになってしまったサリナに,スーズは何もできずに立ち尽くしたが,リーリアはすぐに行動を開始した.
「聞いて,サリナちゃん.」
少女の膝に手を置き,すがるように顔を見上げる.
「ライゼリートは戦場に行ったの,あの子には幻獣がついていないのに……!」
母親の必死の訴えに,少女は人形のような眼差しのままでぴくりと体を震わせる.
「お願い,サリナちゃん,正気に戻って.ライゼリートにはあなたの力が必要なの!」
途端に少女の体が炎に包まれる.
「サリナ……!?」
スーズの呼びかけに,少女の瞳に意思の光が戻る.
「……ライム.」
恋人の名を呼び,少女はたった一人で転移魔法を発動させる.
戦場へ,少年の側へ行くために.

スーズはすぐさま追いかけたが,
「リーリア様!?」
リーリアはその場に留まった.
「私は,……あの男の側に居るわ.」
複雑な笑みを浮かべる,外見だけが6歳の少女.
「国王の側にずっと居る…….」
「リーリア様!」
魔法の炎の中,スーズの視界が赤に覆われる.
瞬間,手を伸ばしかけて,しかし青年はリーリアを一人,王城に置いて世界を跳んだ.

「それと,カイゼから聞きましたが,昨日王国軍は王都を発ったらしいです.」
スーズからの報告に,イスカは小さく「分かった.」とだけ返事する.
どこかぼんやりとした青年の受け答えに,スーズはイスカの心情を思いやった.
イスカら王の子供たちは,どうしてもリーリアに複雑な感情を持たざるを得ない.
リーリアの出現によって,彼らと彼らの母親たちは国王に見向きもされなくなったのだ.
リーリアに罪は無く,悪いのは国王だと分かってはいても…….
特にイスカは,当時第一王子であった国王に捨てられて泣く母の姿が忘れられない.
そして母の…….

「サリナ…….」
健康的な寝息を立てて眠っている少女の頬を撫でて,少年はこみ上げてくる愛しさを抑えることができなかった.
そっと唇を寄せて,口付ける.
ずっとこの少女のことが好きだった.
少女が自分のことを,弟どころか妹扱いしていたときから…….

「ん……,」
少年からのキスに,少女がかすかに身じろぎして目を覚ます.
「誰……?」
目を両手でこする少女に,
「俺だ……,」
少年は再び口付けようと,
「きゃぁ!?」
いきなり少年はバチンと頬をぶたれた.
「あ,あなた,誰!?」
「え?」
慌てて起き上がり少年から逃げる少女に,少年は目を丸くした.

「何を言っているんだ?」
「ここ,どこ? あなた,誰!?」
少女はきょろきょろとテントの中を見回し,おろおろと足踏みをする.
まさか正気を取り戻した代償に,記憶を無くしたのか?
少年はさっと顔を青ざめさせる.
母は6歳の幼女の姿になってしまったが,少女はそうはならずに……,
「サリナ,自分の名前が分かるか?」
しかし一人混乱する少女に,少年の声は届いていないようだ.
「私,……ユーリの家に閉じ込められていて,そうだ! イスカ先輩が炎の中から助けてくれたんだ!」

「それでお城に居たら,……あれっ,ここはどこ?」
少女は少年のことは目に入らずに,テントの中をぐるぐると歩き回る.
「サリナ!」
「きゃ!」
自分を無視する少女の両肩を,少年は乱暴に抱いた.
「俺のことが分かるか?」
少年は噛み締めるように,言葉をつむぐ.
少女は怪訝そうに眉を寄せた.
「誰ですか? 初対面ですよね.」

「そ……,」
そんなこと,あるはずないだろ!?
あまりのことに,少年の言葉は声にはならない.
目の前が真っ暗になり,少年はその場でへなへなと座り込んだ.
「あのぉ……,」
少年にあわせて少女も座り込み,なにやらショックを受けているらしい少年の顔を下から覗き込む.
「良かったらお名前を教えていただけませんか? それと,ここはどこなのかを.」
困ったように微笑みかける少女に,少年は言葉を無くす.
つまりサリナは,少年のことだけを忘れてしまったのだ.

「私,サリナっていいます.あなたは誰ですか?」
恋人の無邪気な笑顔に,少年はこれほど残酷なものはないと思った…….
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