EpisodeU...ひとり暮らし in TOKYO & NY?!
 1990年4月、総合商社TOMENのグループ会社であるトーメン情報システムズ株式会社(TISCO)に入社。東京勤務を命じられ千葉の浦安の借り上げ寮でのひとり暮らし生活が始まった。

 ♪お江戸日本橋〜で有名な日本橋(にほんばし)からほど近い茅場町にある三菱系列のダイヤビル内に私の所属する運用部技術チームがありました。(そのビル付近は隅田川沿いでよくトレンディドラマの撮影場所に使われていましたが・・・今はどうなんだろう?)
 そこで私は商社トーメンの財務や経理・企業間のシステム(プログラム)開発及びメンテナンスや、新たな技術の研究等に携わっていました。そう、ここで後に極めるコトになる「会計」なるものと初めて絡んだワケです。

1)上司泣かせ その壱

 浦安から茅場町までの通勤に私は「営団地下鉄東西線」を利用していたのだが、その区間の“とあるモノ”全ての位置を私は熟知していた。それは・・・トイレ。
 私には知る人ぞ知る欠点が・・・そう、お腹が弱い!本屋と電車の中では必ずと言っていいほど便意を催すのは何故?(食事中の方スミマセン!おそらく「そう簡単にはトイレに行けない」という状況下におかれる事がプレッシャーになるのだろうか?)
 朝のラッシュなど以ての外!何度「電車の中で漏らしたヤツ」という汚名を残しそうになった事か。。。しかしそんな不名誉な名を残すまいと出来るだけ各停に乗り、いつでもどこでもピットインできる状態で通勤しているもんだから、不本意ながら(←ほんまか?)遅刻をすることもしばしば。。。上司に「頼むから遅刻せんと来てくれ(T_T)」と泣き付かれる始末(^^;) そんな上司や同僚の寛大さのおかげで、何とか汚名を残さずにすみました。(その節はご迷惑かけました!)

2)上司泣かせ その弐

 今では珍しくも何ともない茶髪。その先駆けは何を隠そう・・・なんです。
 当時茶髪の若者なんて不良の代名詞と思われがちで、なおかつリュックを背負って出勤してくる会社員など本当に珍しかったようで、これまた上司に何やかんやとよく小言を言われたもんです。(といっても当の本人はあまり気にしていなかったのですが。。。)
 その後みんなが私の真似(?)をし始めてからはすっかり足を洗ったので、現在の私しか知らない方にはあまりピンと来ないかもしれませんね。(ご希望があれば当時の写真を公開なんかしたりして・・・?!)

3)GOOD LUCK!

 そんなgoing my wayな私に突然「トーメンのニューヨーク支社へ1年間出張に行ってくれ」という話が。高所恐怖症の私は飛行機もイヤだし本当に1年で帰れるのかも怪しく当然断ったが、何度も説得されいろんな条件をつけて結局1ヶ月半のNY出張を引き受けることに。。。

 海外では日本人は金持ちだから狙われやすい等とよく聞きますが、私は何故かそんな危険な事は一度もなく(身なりが貧乏くさそうだったから?!)後でわかったのですが、ずっとChineseだと思われていたようです。。。
 NYで生活といっても英語がしゃべれなくても何とかなるもんですねぇ。とりあえず「rest room」という言葉だけは一番に覚えましたが。
 初めてNY支社へ訪れた時日本人の上司にいろんな方々を紹介され、別れ際に何と言っていいか思い浮かばず「・・・ぐっどらっく」と言ったのはやっぱマズかったでしょうか?
 あまり洋食系が得意ではない私も日本料理屋や中華料理屋などのおかげで無事任期を全うし、晴れて日本へ無事生還したのでした。





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