訪 朝 紀 行 (1997)


1997年8月12〜17日


2・3日目 平壌観光

 訪朝2・3日目の13・14日は、万景台(マンギョンデ)の金日成(キムイルソン)主席生家、地下鉄試乗、人民大学習堂(巨大図書館)、万寿台(マンスデ)大記念碑=金日成主席の巨大銅像と革命モニュメントを午前中に参観、玉流館(オンリュグアン)という有名な平壌冷麺店で昼食。午後は、大同門(テドンムン)、牡丹峰(モランボン)第一高等中学、金正淑(キムジョンスク)託児所を参観、東平壌大劇場にて芸術鑑賞。翌14日午前は、金日成総合大学、朝鮮革命博物館を参観、そしてバスで元山へ。この辺のことはだらだら書いても仕方がない。むしろ、ここでは箇条書き的に思いついたことを書こうと思う。

    平壌の朝を歩く

 8月13日、朝鮮最初の朝を迎える。寝坊だ。旅の疲れはやはり残っている。平壌の街は朝歩くに限る。夜、出歩こうとしても、店は閉まっており、人々は家にいる。酒場のようなものはなく(向こうの人が飲む時は、知り合いの家にビールなどを持ち込むという)、夜遅くまで開いているのは、外国人相手のホテルだけだ。
 しかし、朝は通勤、通学に向かう人々の活気ある姿がある。早い人は向こうのガイドさんと一緒に、何人かで午前6時か半にはホテルを出たという。私が洗面を済ませたのは7時前。朝食までの間、少し出歩こう。部屋の鍵を同室のI先生に預け、私は一人リュックを肩にホテルを出た。もちろん何も分からない。最初はホテルの前で道行く人を眺めているだけである。
 朝鮮でも8月いっぱいは夏休みだと言うが、それでも何かで学校に行く生徒たちの鞄を抱えた姿がある。軍人(もちろん銃器は携帯していない)も多い。書類鞄を抱え、眼鏡をかけた年配の将校の姿もある。OLらしき女性たちの姿もあり、すっぴんではなく、なにがしか化粧をしている。服装は紺のスカートに、ブラウスと言ったところか。かわいらしい17、8の女性兵士が二三人連れだって歩いている。
 少年が私の方を珍しげに眺める。軍人も眺めてくる。ホテルのガラスに自分の姿を映してみて恥ずかしくなった。こんなに太った人間など、この街には一人も歩いていない。彼らは、私のことをどう見ているのだろうか。だが、多くの人は外国人慣れしているのか、私のことなど見向きもしない。
 突如、10数人の楽隊が交差点の斜め迎えで、吹奏楽をやりだした。これはこの一角で朝7時から毎日やっていたようだ。向こうへ行ってみたくなる。地下道を通る。道路を横切るのは、向こうでは道路交通法違反である。もっとも、朝早いときでは、軍人でも、平気で違反をしていた。だいたい、車が少ないのだ。地下道を通り、向こう側に行き、ひとしきり歩いて朝食の時間までには帰る。スカートの婦人交通警官も見かけた。
 次の日は、もう少し早く起き、ホテルのある区画を一周した。平壌駅前では、街路樹の下に、兵士たちや一般人たちが、とにかく大勢、列車の来るのを待っている。そこに行こうとしたが、やはり気後れして行かなかった。ホテルの近所には各種の店舗があり、ふとのぞいたところは玩具店で、ブリキ製の玩具が各種並べられていた。もちろん、朝は早いから営業はしていない。その駅前大通りに面した歩道の上で、自動小銃を背にした兵士が一人、立哨していた。
 区画を一周して帰る。ランニングに半ズボンという、よく日に焼けた坊主頭の小学校低学年ぐらいのの元気そうな男の子が歩いている。途中、トウモロコシの食べかすが二三本落ちていたりしたが、概して街はきれいであった。だが、全然雨が降っていないせいか、少しほこりっぽいような気もする。

   牡丹峰(モランボン)第一高等中学

 朝鮮では、11年制の義務教育を取っているという。就学前に幼稚園1年、5歳から入る人民学校が4年、高級中学が5年である。だから高級中学には、10歳から15歳までの生徒が通っている。高等中学を卒業してから、各種大学に入ったり、就職したり、人民軍に入ったりするという。そういえば、17、8の兵士の姿は結構見られた。
 教育はすべて無料であり、託児所、大学、人民大学習堂などを見ても、教育に結構金を使っていることが分かる。朝鮮には、どんなに児童数の少ない山奥の村にも、必ず学校があると言う。
 この高等中学では、夏休み中の生徒のクラブ活動を参観した。刺繍クラブ、洋裁クラブ、生物部、卓球部、軽音楽部などである。
 刺繍クラブでは、生徒が見事な刺繍を作っていた。洋裁クラブでは、生徒たちは熱心にミシンを動かしていた。12台中、確か6台がクラシカルな形の中国製足踏みミシンであり、これが最も新しく、更に2台が日本製電動ミシン、残る4台が、朝鮮国産足踏みミシンであった。
 経済的に豊かでないので、制服の統一性は求められていないようだが、もちろん服装は清楚である。
 生物部では、顕微鏡をのぞいて、何やらスケッチをしていた。この顕微鏡は国産であったように思う。標本室があり、ラッコやイノシシ、熊、亀や鳥類の剥製が展示してあった。生徒が授業で習った動物の形態を、ここで確認するのだという。後から考えれば、どうでもいいものなのだが、珍しいのでついつい撮影してしまう。
 撮影は自由であった。しかし、やはりカメラを向けられた女生徒ははにかむ。ガイド氏によれば、朝鮮の女性はまだまだ恥ずかしがり屋で、こちらが一緒に写って上げなさいと言っても、なかなか応じないと言う。
 体育館では卓球部が練習していた。卓球というと、私の出身高校である京都・H高校は卓球が強く、その顧問であった私の高三の時の担任の先生は、卓球の選手団を率いて、中国や北朝鮮にも行かれたことがあった。
 講堂では、軽音楽部の子が演奏を見せていた。カシオのエレキギターなんかを使っている。5人中ただ1人の小柄な男子生徒が、キンキラの上っ張りを着て、ベースをやっている。ボーカルやダンスも出てくる。「ちゃんと、指導してくれる人がいやはるんやなあ」と同行の先生がささやく。この日は、中国から来た数十人ぐらいの先生たちの団も、きっちり並んで座って鑑賞しておられ、演奏終了後、生徒たちに記念のボールペンなどを渡されるが、日本側には何の用意もない。日本製のボールペンを一箱か二箱買ってくればよかったと悔やまれた。
 帰途、バスの中で、あの子たちは私たちのために動員されて来ていたのでは、という声が上がる。すると、誰かが、日本でも、外国の教員の団が来たら、同じ様なことをするだろうと言う。確かにそれは言えるだろう。



刺繍に励む中学生たち

保育所の子供たち


   モニュメントについて

 万寿台の巨大銅像だけでなく、朝鮮の各種の公的な建物の玄関口には、かならず金日成主席の像もしくは絵画が飾られている。これを、その建物の中心としているようだ。教室にも、金日成、金正日両氏の肖像が掲げられており、各家庭でもそうだという。
 このような現象について、日本では色々とおっしゃる人もおられるかもしれないが、私は、基本的にこれは北朝鮮の人が、どうするか決めるべきことで、外国人がとやかく言う問題ではないと思う。
 思うに、国際関係の基本というものは、言わばお互いの異様性の相互承認、相手と自分とは違うんだということをきっちり認識することにあると思う。北朝鮮人でなくても、外国の人は、日本人の何かを見て、異様性を感じているかもしれない。少なくとも、自分がこう思っているから、相手もこうだとは思わないこと。相手が自分と違うからと言って、これを異様だとは思わないこと。こういう姿勢で、日本が世界各国(もちろん北朝鮮も含む)ときっちり付き合うことが、日本国内でのイジメをなくす第一歩であると思う。
 それによく考えてみると、日本で北朝鮮の異様性と報道されていることは、案外、世界各国、特に第三世界諸国には普通に存在することかもしれない。
 例えば、指導者の写真を飾っている国は、アフリカ、中近東の方に行けば、他にもたくさんあるし、肖像でなくても、アメリカの教室などにも星条旗が飾ってある。しかし、日本の学校で、教室に天皇の写真や日の丸を飾ろうなどとしたら、ひと悶着では済まないだろう。
 また見ようによっては、外国の人の中には、国旗とか元首の肖像のような、いわばその国の象徴的なものを飾っていない日本の教室に、異様性を感じられる人もおられるかもしれない。
 しかし、その日本でも田舎の方へ行けば、天皇陛下の写真を飾っている家は多いし、新年参賀などには、毎年多くの人が集まり、「天皇陛下万歳!」を唱和する。何年か前、田舎の被災地を訪れられた現皇后に対し、避難所のおばあさんたちは、それこそ拝むような姿勢を取っておられる、そんな写真を見たことがある。別に日本では、ごく普通の人々である。
 なお通訳の金氏は、バスの中で、「金日成(キムイルソン)と呼び捨てにしないで、金日成主席と呼んでください」と団全体に抗議されたが、これは当然のことである。自分が何とも思っていなくても、よしんば嫌いであっても、外国人と接する時は、その国の指導者に、それが朝鮮の主席であれ、イランの大統領であれ、タイの国王であれ、適度な敬意を示すのは当然のことである。




金日成主席の巨大銅像


   高麗ホテル

 高麗(コウリョ)ホテル、この超豪華ホテルは、日本人と在日朝鮮人用のもののようである。日本人は案外来ていた。観光客以外にも、農業支援に来た人々もいる。人民大学習堂の一室では、日本から招かれた講師による機械工学の講義が通訳付きで行われており、向こうの人々が熱心に聞いていた。日本側統計によると、毎年1500人前後の日本人が朝鮮を訪れており、その九割までが観光だと言う。
 在日朝鮮人も多かった。特に朝鮮学校の修学旅行のようなもので来ていた生徒らが多い。ホテルのロビーに、集合隊形で腰を下ろしている。胸にキムイルソンのバッジを付けていたりするが、何となくおしゃれであり、「……じゃん」とか言いながら、ホテル内を闊歩しているから、おもしろい。
 ところで、向こうの大人はほぼみんな、金日成主席のバッジをつけていた。これは就職するともらえるそうであり、年ごとに色々なデザインがあり、自分で好きなデザインのものを選ぶという。別に強制されているわけではないが、みんな尊敬しているから、自然に付けているというガイド氏の説明であった。
 ホテルでは、他に欧米系の人の一群や、イラン人らしきご夫妻(夫人は黒のチャドルを着ておられた)やインド人のご夫妻などを目撃した。また中国からの観光客も多いという。
 なおホテルの料金は、私が泊まったような部屋で一泊1万5千円=約290ウォン。ちなみに、国家公務員(向こうではみんな国家公務員であるが)のガイドの金氏(40過ぎ)の月給が170ウォンというから、下手すると向こうの人の月給の倍近い値段の部屋に泊まったことになる。まあ、平壌でこんな日本並ホテルを維持しようとしたら、これぐらいの経費はかかるだろう。
 最上階は、回転式の展望レストランになっている。ここは値段も味も日本並である。部屋はゆっくり回転しており、ここからは平壌市内を一望できる。電力事情も悪く、元々日本のようなネオンもないだろうが、それでもそれなりに夜景を楽しめた。
 なお、平壌の気温は旅行中は、だいたい最高でも31度、湿気も少なく、大阪に比べればかなり快適であった。




柳色新たなる大同門より主体思想塔を眺望す

 当時の35万画素のデジカメで撮ったが、自分でもよく撮れた写真だと思い採用した。別に思想的意味はない。パリに行けばエッフェル塔を撮り、大阪に来れば通天閣を撮るのと同じである。
 ちなみに、筆者は主体思想塔などと言っても、通天閣とあまり変わらない発想のものだと思っている。主体思想塔の下には、朝鮮人民の英雄モニュメントもあるらしいが、通天閣の下にも、大阪人の英雄、坂田三吉の「王将」のモニュメントが置かれている。また、通天閣には「ピリケンさん」も祭られており、「商売繁盛」という大阪人の最重要思想を体現している。



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