訪 朝 紀 行 (1997)


1997年8月12〜17日


開かれた朝鮮観光ルート


 6月下旬の頃、N高校のN先生より、朝鮮民主主義人民共和国へ一緒に行かないかというお誘いを受けた。N先生からは、前任校の同僚との関係で、今から7年ほど前、一度お話をおうかがいしたことがある。 
 朝鮮民主主義人民共和国については、色々と政治的な意見を持っている人も多い。だが、現在の日本で、北朝鮮について報道されていることを聞いていても、何が一体、本当なのか、どうもよくわからない、と言うのが正直なところの私の感想なのである。
 もちろん、たかが1週間、北朝鮮を旅行したところで、さして北朝鮮のことが分かるようになるとも思えない。しかし、政治やイデオロギーの問題を言う前に、北朝鮮は、日本にとって、同じアジアの隣国である。やはり、仲良くつきあって行くべきだろう。いっぺん、行ってみてもよい。
 そうは考えてみたものの、まず先立つものがない。訪朝費用は約25万。けっこう高い。だが、その時、理解を示してくれたのは妻であった。「なかなか行けるものではない。迷っているぐらいなら、行ってくればいい」。こう言って、妻は貯金を出してくれたのである。
 既に日本政府は、パスポートから「except NorthKorea」(北朝鮮以外)という条項を削除しており、訪朝に関する日本側の制限はない。北朝鮮が出す入国ビザに関しても、旅行社の説明によれば、「国交がない関係上、北朝鮮は日本の自衛隊員、警察官、公安関係者の入国は禁止しているが、それ以外の一般人は、観光目的での入国を認める方針である」とのことであった。
 今回の訪朝は、現役教職員を主体としたものであったが、北朝鮮側招聘先は朝鮮国際旅行社であり、北朝鮮側の扱いは、「観光のための入国」である。
 もちろん、北朝鮮はまだ個人での入国は認めず、団体観光しか認めていないが、北朝鮮の法律によれば、団体とは二人以上を指すらしく、その意味では、夫婦二人でも入国はできる。だが、さすがにそういう小団体は、実際の観光周遊の際は寄せ集められて、一台のバスに乗せられるらしく、これでは少しおもしろくない。確かに、今の北朝鮮には、たった二人の団体のために、通訳兼ガイドと乗用車を用意する余裕はなさそうである。
 だが、取りあえず「団体」を組んで、朝鮮国際旅行社と取り引きのある日本側旅行社(朝鮮総連系であれ一般系であれ)に申し込めば、一般人であれば、誰でも北朝鮮観光を行える時代に既になっているのである。実際、同じ飛行機には、日本の一般旅行社が募集した団体も乗り合わせていた。
 なお今回、我々の旅行を実質、世話してくれたのは中外旅行社という総連系の会社である。
 なお実際の飛行機の運航ルートであるが、現在、日朝間に飛行機の定期便がないため、普通は、まず北京に飛んで、そこから平壌に列車もしくは飛行機で入るのだが、今回は夏休み期間ということもあり、チャーター便ではあるが、名古屋から平壌への直行便を利用することができた。旅行費用がかかったのは、一つはそのためであり、これが定期便になると旅行費用は格段に安くなる。
 なお、チャーターされたのは、北朝鮮の高麗航空の旧ソ連製のツポレフであった。8月12日午後、一行は名古屋空港で出国手続きを済ませ、一路、平壌へと向かったのである。  




高麗航空のツポレフ122型旅客機



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