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鯱の光

名古屋の東端で育った「新ちゃん」は、地元の八事小学校、駒方中学を経て、愛知県立旭丘高校へ進学しました。「全人教育」という理想を掲げた旭丘高等学校は、愛知県きっての進学校であると同時に「制服廃止運動」なども盛んでした。母が一時期教鞭をとっていた高校でもあります。

実は私の家には、明智光秀の一党の印ともいわれる桔梗の家紋が伝わっています。そのせいか、どうも反逆児の魂が私には潜んでいるようです。旭丘では、リベラルな校風に甘えて、 生徒会運動などに熱中し、権威に反抗して周りにかなり迷惑をかけました。高校卒業後は上京。世の中のことを学んで世直しをせねば、などというまことに青い意気込みを抱いて、早稲田大学政治経済学部政治学科へ入学しました。

早稲田でまず驚いたことは、人の多さ。4万人もの学生がひしめき合っているキャンパスでは、とても落ち着いて本を読む雰囲気などはありません。こんな大学で何を学べるのかと悩みもしましたが、どんな権威に対してもおじけず、挑戦するという向こう見ずな雰囲気がみなぎっていることには多少感化されたかもしれません。

大学当時は、授業にもまともに出ず、喫茶店などでうろうろして時間をつぶす毎日を送ってました。ただどういうわけか故藤原保信先生の政治思想史の講義や専門書購読、演習だけは、心に響くものがあったのか、きちんと出席していました。そこでホッブズやルソーの政治思想を学び、マルクスなんかをかじってしったかぶりの議論をふっかけていました。今から考えると、冷や汗がでますが、本当にいいかげんな学生でした。

でも藤原先生は、どんな議論にもきちんとつきあってくださり、学生を励ますと同時に、一人一人に、とりくまなければならない思想的な課題を与えて、ものを考えさせよう、という真剣な姿勢をもっていらっしゃいました。大学を卒業するときになって、もう少しきちんと勉強しなければ、という殊勝な気持ちになって大学院に進むことにしたのは、たぶんにそうした先生の感化であったようにも思います。

 こうして早稲田を卒業してから、故郷の名古屋大学の大学院に進学、政治学を専攻して修士課程を修了、縁あって大阪外国語大学の助手に採用されることになりました。大学院で一番印象に残っているのは、丸山真男先生の集中講義。大学時代から、丸山先生の書いたものは大小を問わず集めて読んでいたので、感激はひとしおでした。「歴史意識の古層」という有名な論文を発展させた日本の政治意識の古層についての講義でしたが、内容もさることながら、先生の暖かい人柄は、今も懐かしく思い出します。