薄れゆく戦争の記憶
                          奈良県医師会  下里直行


  
連日、夜が明けるのを待って空爆が繰り返される。
  雨期空け近いシッタンの森はこの日、不思議に静かで爆音は聞こ
 えてこなかった。
  昭和二十年八月十五日のお昼前、森の上から紙切れが降ってきた。
  英軍の「號外−戦争は終へた!」のビラだった。
  恐る恐るこれを拾った兵隊達は訝りながら、上官に見せたり話を
 する事さえ躊躇した。

     砲声の俄かに絶えし静もりを
          いぶかり合いし十五日の朝

   (下里直見著、ビルマ随想『南十字星』の一節「終戦」より)

 
  私の父は、一九四三年、二度目の召集でビルマ
 (現ミャンマー)戦線に野砲連隊本部付軍医とし
 て参戦したが、インド侵攻を目指したインパール
 作戦の失敗で、最初から敗走の日々が続いた。
  自決をも覚悟した絶体絶命の窮地を幾度となく
 潜りぬけ、シッタン河畔のジャングルで英軍に投
 降、ビルマ南部のコカイン収容所で三年近い捕虜
 生活を送った。
  
  この間、偶然手に入れた歌人・長塚節の短歌集に感銘を受け、
 敗走中の悲惨な日本兵の様子や収容所での体験、望郷の念などを
 約250首の短歌に詠み、一冊のノートにまとめて持ち帰った。
  復員後は、仕事に追われ、短歌を読む機会もなかったが、本棚
 の隅に眠っていたこのノートを「子供達への形見に・・・」と、
 米寿を機に一冊の歌集として自費出版した。
  タイトルは、敵軍の目を逃れるため夜間に敗走するときの重要
 な目印となった南十字星にちなんでつけられた。
  父と一緒に暮らしたこの半世紀、父はみずから戦争の話を口に
 したことはなかったし、私もあえて聞こうともしなかった。
  最近この歌集を手に二人で語り合ったとき、父が選んで私に示
 したのが冒頭の一首と次の歌であった。
       
侘びしかり吾に背を向けミシン踏む
             あやめ浴衣の妻を夢見て

  「戦場での辛い思い出は、今ではほとんど記憶の
 かなたに消えてしまったけど、ビルマ人や監視役の
 インド兵にとても親切にしてもらったことは今も忘
 れられん。」
  こうつぶやいた父は、はるか遠くを見るように大
 きくため息をついた。

 


 
左図は、父が収容所
 で描いたコカインキャ
 ンプのスケッチである。








    

  ー本稿は奈良県医師新報【第583号】(平成12年8月1日発行)に掲載されましたー



 尚、父直見は平成14年2月2日午後3時43分、嚥下性肺炎が原因で永眠
しました。満89年11ヶ月14日の生涯でした。
 告別式の前後は氷雨ふる極めて寒い日が続きましたが、当日のみ快晴に恵
まれ暖房器具が不要なほど暖かい日和となり、父の遺徳を感じさせられました。
 喪主の私は、参列していただいた方へのお礼の言葉の締めくくりに、歌集「南
十字星」の冒頭に掲げた、出征前夜に詠んだ次ぎの歌を引用しました。
 
  降る雪の雨に変わりて肌ぬるき 
            春近き夜を祖国(くに)いでたちぬ
       
                                        合掌