嘘のような本当の話     下里直行    
                                                   
 
  
 1988年のGW。ドライブを兼ね、大原の里に一泊二日の家族旅行をした。
 寂光院などを訪ね歩いて後、古刹「三千院」の山門をくぐった。
 凛とした空気に包まれて、信仰心の希薄な私でさえ、つい敬虔な気持ちになり、般若心経を
神妙に写経した。
 中堂に入ると、経卓に山と積まれた一本百円の護摩木が眼に止まった。
 参拝者は、これに願い事を書いて奉納するのである。約一ヶ月後、須弥壇の前に供えられた
護摩は、決められた日の未明、修験僧の読経にあわせ、護摩炉に焚かれる。このとき立ち昇る
紫煙が虚空を漂い、祈願者の住む上空に達するとき大願が成就する・・・との謂われである。
 私はためらわず、念願の『
ホールインワンをさせて』としたためた。余白に、不動明王の
気を惹くための
ハート・マークを描き添えた。
 それから、二ヶ月も経った7月17日。「平城会」という、当時勤務していた県立奈良病院
のコンペで大願成就したのである。室生ロイヤルCC、14番ホールでのことであった。
 にわかに信じ難い三千院の霊験ではあったが、『お礼参りだけはしておかなくては・・・』。
 気になりながら一年の歳月が流れた。
 1990年の春。同病院小児科病棟のスタッフが、皆で三千院に行くことを聞き知った。
 これ幸いと、身替わりの参拝を小児科のK先生に頼むことにした。
願い事が叶いました。ゴルファーズ保険にも入りました。ですから、ぜひもう一度エースを
』との祈願文のメモを手渡した。
 ただ、
ハート・マークの件を言い忘れたのがちょっと気になった。
 さて、二ヶ月も経った6月10日。同じく「平城会」でのこと。春日台CC、東コース。
 6番を終え茶店に向かう途中。一天にわかにかき曇り、一陣の突風が吹き過ぎた。
 あの日と同じ気配であった。
 はたして、護摩の運気の到来か
 急ぎ茶店に入ると、御神酒代わりのワンカップ大関をすすり、清めの塩(食卓塩)を振り撒き、
かしわ手を打ち、印を結んで大仰に、『
三千院様 不動明王様我にエースを授けたまえ』。
 気乗り薄のパートナーにも同じ所作を強要、鼻息荒く茶店を出ると7番ティーにスックと立
った。
 が、気負って打った私の球は敢えなく林間に消え去った。
 意気消沈の私を尻目に、二番手の松井勉先生が、間髪を入れずショットした。
 球はグリーン上で2バウンドすると、軽くフックしながら3メートルほど転がって、カップに
消えたのである。
 一転、狂喜・乱舞の大騒ぎとなった。
 しかし、瞬刻の差で二度目のエースを逸した私の心境は複雑であった。
『きっと不動明王は、他力本願の私を許せなかったにちがいない・・・』。
 後日、松井先生はこのホールに記念樹を植えた。ティー・グラウンド左前方、一番奥の「松の
木」がそれだ。
 私は、春日台CCを訪れると、必ずこの樹に手を合わせることにしている。不動明王の化身と
してあがめ敬うためだけでなく、手抜きを詫びるためにでもある。
 ただ残念なことに、この御神木に小便をひっかけてゆく不埒者が居る、という話を耳にしたこ
とがある。
 とんでもない輩である。今頃この人のおチンチンは、祟りをうけて腐れ落ちているに違いない。
 ところで、以上の出来事(小便の件も含め)が、荒唐無稽の作り話でないことを証明する人物
が他にもいる。
 同コース東茶店の中島リツ子嬢である。彼女は、この一部始終を目撃した生き証人であるばか
りか、一緒になって清めの塩を店内に撒き散らかした当の本人でもある。
 最後に、『一度でいいから、エースを』と夢見る御仁へのお勧め。
 願掛けは、三千院に限る。もちろん、自力本願で。
 手軽には、かの「御神木」へのお百度参りが良い。

 追記:松井先生のホールインワンから半年ほどたった春。末娘の幸がつき合ってくれると言う
ので、二人で大原にブラリと出かけたことがあった。
目的は言うまでもなく三千院へのお礼(お詫び)参りであった。

奈良県医師新報’98.7【第558】(平成10月7月1日)より転載