笑わば笑え ダッファー言い訳論    下里直行                                    

 
 ゴルフに関してわたしが一番力をいれていることは、スコアーが悪かった
 ときの「言い訳」を考えることである。 

              眼鏡が悪い
 少し前のことになるが、四パットを平気で連発することの原因を、八年前に作った
 メガネのせいにしたことがあった。
 当時わたしは、近視と乱視と老眼が複雑に混じり合った実に精巧な目玉をしていたので、グリ
ーンが二つに見えることがよくあった(特に、ヤマト・カントリークラブではどのホールもそう見えた)。
 そこで、大学の後輩でゴルフ仲間でもある某眼科医に頼んで、カップが半分ほどの大きさにしか
見えない、高価なメガネを作ってもらった(小さく見える分、よけい入らなくなった)。
 六年ほどたって、このメガネでも対処できない新たな問題が生じてきた。
 グリーンの表面が上下左右に湾曲して見えるのである。とりわけ、阿騎野ゴルフ倶楽部のグリ
ーンではこの症状が一層顕著となってあらわれた。
 寄る年波に老人性白内障が重なって、いよいよこのメガネも限界にきたのだと確信したのであ
った。
 ふたたび、かの眼科医院の門をくぐった。内心、《前より相当ひどくなっていますよ!》という答
えを期待して。
 診断結果は非情にも、八年前の所見と寸分も変わっていなかったのである。
 そして彼は、不服そうなわたしを一瞥し、ニヤリ一言『眼の奥の脳を交換したらどうですか・・・』と
ダメを押されてしまった。
                          
脳が悪い
  今から十年前、厚生省は脳の血液循環と代謝を改善し、記憶力や思考力を向上
 させるというクスリの発売を許可した。おもに「脳動脈硬化症」という病気(現在、この
 病名は使われなくなった)の人に使用された。
  受験生がこれを服用すると合格率が上がるというウワサまで広がって、十年間での
 売り上げが八千七百五十億円にのぼった。
 ところが本年六月、厚生省はこの種のクスリを医薬品と認めない決定を下したので
 ある。
 追加試験の結果「益にも害にもならず、うどん粉よりも値打ちが劣る」というのがその理由であった
(わたし達は騙されていたのだ)。
 話を本論にもどす。
 一向にゴルフが上達しない原因を「アル中ハイマー」か「脳動脈硬化症」のせいだと考えたわたし
は、一縷の望みをこのクスリに託し、試験的に一週間ほど飲んでみることにしたのである。
 すると不思議なことに、驚異的なスコアーが続出したのだ(結論からいうと、たまたま偶然が重な
った一過性の出来事にすぎなかったのだが)。
 喜び勇んで、友人の医者にこの成果を報告したところ、『そのクスリが効くということは、間違いな
く脳が腐りかけているいるのだから命も危ない。すぐにCTスキャンをやれ』ということになり、無理や
り検査を受ける羽目になった。結果はもちろん、脳は腐っていなかったのである。
 『この際ついでに、腸の奥まで診てやろう』と大腸ファイバーを挿し込まれたあげく、『お前はケツの
穴が小さい』といわれた。
                          
妻が悪い
  数々の屈辱的な仕打ちを受け、いっそう卑屈になったわたしは、責任を自分に求め
 るのをやめ、 他人のせいにする方針にきりかえた。
  最近よく使う「言い訳」は、妻をダシにしたものが多い。たとえば、『ゆうべ、妻のいび
 きで寝られなかったもので・・・』とか、『妻の料理を三日間も食べ続けているもので・・・』
 のたぐいである。
 これがたび重なって、妻から卑怯者とそしられ、つれだってラウンドしてくれなくなった。
 今は別居の危機にさえある。
 『今日はお一人? 奥さんどうしたの? 』 と尋ねられ、『(五十近い)妻は身重もで、ツワリがひど
くて・・・』と言い訳する虚しさを一体誰が理解してくれるであろうか。
                         
人格が悪い
 ゴルフは健全な精神を育成するスポーツである・・・と、古代ギリシャの哲学者プラトンは言った(ホ
テル・プラトンの大原社長だったかもしれない)。
 確かにわたしが知っている「ゴルフ巧者」や「腕利きゴルファー」の多くは数々の美徳と崇高な人格
を有しておられることから、この言葉はうなずけるところである。
 ところが、粉飾ハンディー10を誇るわたしには的はずれであると自信を持って断言できる。
 なぜなら、調子が悪いとネチネチと愚痴をこぼす、責任を他人に押しつける、甲高い声をはりあげ
て人の同情を買う、キャディーさんに媚びを売る、クラブでミミズを叩く、池の鯉を見下す、民家のニワ
トリの陰口を叩く・・・・などなど。邪悪で、醜い態度ばかりが養成され、健全な精神が身に付く兆候が
まったくみえない。
 さらに、バラ色であるべき余生さえ台無しになりかかっている。
 ゴルフにはほとほと愛想が尽きた。
                          
往生ぎわが悪い
  それほどまで辛い思いをしながら、なぜ性懲りもなくフェアウェイをさまよっているのか、
 といった 当然の疑問を抱く人がいるだろう。だが、その疑問には答えたくない。

               

《阿騎野ゴルフ倶楽部季刊誌「
阿騎野」第3号(平成10年10月発行)投稿原稿より転載》