河田良唯先生を偲んで
       −新報に観る 故河田良唯先生の映像世界−
                              奈良県医師会 下里直行


 河田良唯先生は 、本業もさることながら、写真芸術の分野においても、プロ級の腕前を発揮された。
 本誌、奈良県医師新報(以下、新報)にデビューされたのは、昭和52年2月号の『法隆寺中門』と題する表紙写真においてであった。「朝日に輝く甍の一枚一枚に聖徳太子の偉業を偲びつつ、意をこ込めてシャッターを切った」との記述がある(文献1)。 
 5年の歳月を経て、昭和57年4月号表紙に、生涯のテーマとなる白鷺が登場する。湖面に幾重もの波紋を残し、飛び立つ瞬間の雄姿を撮らえた『とびたち』である(文献2)。
 当時、私は「写朋大和路」という写真同好会をつくり、先生にも幾度か参加していただいたことがあった。
 ある日の撮影会で、奈良の写真家、故入江泰吉氏を講師に招き、撮った写真の批評をしてもらったことがある。その日、先生が披露された黄金に輝く白鷺を見て入江氏は、細い眼を一層細くして「すごい・・・!」と呟くと「なにも申しあげることはありません」と言って、深々と一礼された。
 このエピソードは、後々までわれわれ仲間内での語り草となった。
 先生の白鷺に対する思い入れは、ただならぬものがあった。琵琶湖北西端の知内浜、竹生島にまで愛車のランクルで遠征したり、世界的に著明な鷺の写真家川上緑桜氏との、海外撮影旅行をも計画していた(文献5)。
 3年前、当地区医師会旅行の車中で、普段寡黙な先生が、私を相手に白鷺について、いつになく熱っぽく語られたことを思い出す。
 白鷺を撮影する条件は、早朝か夕刻のいずれかで、適切な場所に撮影用の小屋を置き、粘り強く何時間、何日でもチャンスを待つ。高感度フィルム、望遠レンズ、頑丈な三脚、モータードライブでの連写は必須であると説かれた。
 先生が、白鷺の魅力にとり憑かれれた理由は、単に姿の美しさ惹かれTただけではなく、綿密に計画を練り、機材を準備し、超望遠レンズで一瞬を切り撮る「受動的偶然美の追求」にあったのではないかと思えるのである。
 平成3年6月号の表紙写真『See Through』(つりがね草)は、第51回国際写真サロンに入選、審査員特別賞を受けた(文献9)。
 本業の乳房撮影用レントゲン装置(マンモグラフィー)と、自家現像装置をフル活用した独自の発想に基づく、他に類をみないフォト・イリュージョンの具現であり、第2のテーマ「意図的造形美の追求」への新たな挑戦でもあった。
 ある時、「白黒のX線画像にどんな技法で彩色されるのですか」とお尋ねしたことがある。
 苦笑いしながら、「筆で色付けしたのです」と答えられた。
 その後の『花』(文献11)、『蓮』(文献12)など一連の花シリーズでは、コンピューターグラフィックスを導入、一層艶やかで幻想的な世界が展開されていくことになる。
 今から20年前に、現在のデジタルカメラの隆盛を予想し、中身が透けて写るレントゲンカメラや、透視カメラの出現を夢想しておられた(文献3)。 その夢を自らの手で、現実のものにされたのであった。
 第56回国際写真サロン審査員特別賞を受けた、平成8年2月号の表紙『飛び立ち』〈1996年)は、田原本の池で撮影された。黄金色に光る朝もやの中、捕らえた魚を口にくわえて今まさに湖面を飛び立とうとする白鷺の雄姿を撮らえた作品だ(文献13)。
 そして、これが生前での新報最後の表紙写真となった。
 なお、本号の表紙『チューリップ』は、昨年度ニ科展に入選された作品で、ご子息充弘先生の御厚意により、花シリーズの集大成として掲載させていただいた。
 奈良県医師パソコンクラブ「八重桜」というホームページ(HP)がある。晩年、先生はここに多数の写真を提供されていた。このHPの管理者、安田慎治医師が、その足跡を偲んで特集ページを作り、色鮮やかな作品の数々を紹介している〈文献15)。
 昭和57年、先生は頚椎骨軟骨症兼頚髄不全麻痺で、大手術を受けられた。この時の闘病記を6年後の新報〈文献7)に寄せており、その文章の最後を次ぎのように締めくくっておられる。
 「明日も晴れるだろう。もうすぐ白サギの営巣が始まる。華麗な天使の舞いが見られる日も近い。」
 先生自らが大きな翼を広げ、天高く飛び立って逝かれた。
 ご冥福をお祈りします。 

    飛び立ち(文献13)
法隆寺中門〈文献1)     とびたち(文献2)  白鷺の舞い(文献2)        雪の日〈文献8)
  
  つりがね草〈文献9)      蓮〈文献12)      花〈文献11)         チューリップ
 文 献
1.『法隆寺中門』と解説文:新報、No.301,1977. 2.『とびたち』:新報、No.363,1982. 
3.私の趣味「コンテッサ35と時代の移り変わり」:新報、No.363,1982. 4.エッセイ「趣味」:新報、No412.1986.
5.エッセイ「夏の予定表」:新報、No.415,1986. 6.表紙写真『白鷺の舞い』:新報、No.437,1988.
7.エッセイ「わが闘病の記」:新報、No.437,1988. 8.表紙写真『雪の日』:新報、No.470,1991.
9.表紙写真『SeeThrough』(つりがね草):新報、No.481,1922.
10.第52回国際写真サロン入選作『ツリガネソウ』:神秘、No481,1992.
11.表紙写真『花』、:新報No.514,1994. 12.表紙写真『蓮』:新報、No.519,1995.
13.表紙写真『飛び立ち』:新報、No.529,1996. 
14.安田慎治編、「故河田良唯先生を偲ぶページ」:奈良県医師パソコンクラブ「八重桜」
http://www.seikeigeka.or.jp/yaezakura/kw.html
   本稿は奈良県医師新報:2001.2(第589号)【平成13年2月T日発行】に掲載されました