細川氏(上和泉守護家)

 足利氏一族・細川管領家の傍流。和泉守護に任じられたのは、頼長から元常の6代であった。
 細川元有は、明応9年(1500)岸和田城を畠山尚順に攻められ戦死する。
 細川藤孝は、三淵晴員の長子であったが、晴員の実兄で和泉守護・元常の養子とる。なお、藤孝は、将軍足利義晴の御落胤であったとの説もある。
 この家系は、江戸時代には肥後熊本藩主となる。元内閣総理大臣の細川護煕氏は、この肥後熊本藩主の子孫。

細川和泉上守護家 被官

                            
 頼有──┬頼顕                    
     │                      
     └頼長───持有──┬教春          
               │            
               └常有──┬政有     
                    │       
                    └元有──┐  
                         │  
     ┌───────────────────┘  
     │                      
     └元常───藤孝──┬忠興──┬忠利     
               │    │ (熊本藩祖)
               ├興元  ├立孝     
               │    │ (宇土藩祖)
               ├女子  ├忠孝     
               │    │       
               └女子  ├興孝     
                    │       
                    ├女子     
                    │       
                    └女子