東雲会番外勝負 吉野合宿の巻
目が覚めると、相変わらずH中さんの悩みのなさそうなイビキが聞こえる。誰か分からないがハギシリも響いている。場所は奈良の吉野、金峯山寺に近い東南院というお寺の宿坊である。私たち東雲会の一同は前日から当地に入り、本日蔵王堂前で居合の奉納演武を行うことになっている。「何時かなあ」と思いつつも、演武時の号令のことを思い出した。よくよく先生とは相性が良くないらしく、演武の隊形をとったときにたまたま私の位置が号令を出すのに適した位置であったため、先生から号令係りに指名されていた。大した内容ではないが、やはり気になり二〜三回頭のなかで繰り返すとまた眠くなった。今度はH中さんのイビキが心地よく響いてくる。眠れるかなと思ったとたん、左横に寝ていたN尾さんが突然起きて、刀を抜いて切りかかってくるのかと思ったら、障子を開けてそのままトイレに歩いていった。年寄りは困るなと思っていると、しばらくして一階下の廊下を歩く音が地震のように響いてくる。結局その後は眠れなかった。
みんながゴゾゴソし出した頃、突然「アサーーー!!!ハレテヨカッタアー!!!」。
昔懐かしい谷岡ヤスジの漫画に出てくるニワトリのようなケタタマシイ雄叫びが響いた。
「アレ、ダレ?」と誰かがシラジラシク言うと、I谷さんが「ドコノヒトカナ?!」。皆誰もが「除名やあ!!」という言葉を恐れて、無関心を装う。十数回「除名やあ!!」処分を受けているK井さんなどはニコニコ笑ってすましている。こんなときN尾夫人がいてくれれば、たしなめてくれるのだが…。そんな、こんなでともかく夜が明けて、本番の日が始まった。
「七時から勤行ですので、お堂に
分前に集合しましょう」
S水さん(今回の奉納演武の仕掛け人、金峯山寺で要職に就く山伏さん。同時に東雲会の中軸会員でもある)が、皆に声をかける。お堂に入ると薄暗い中に立錐の余地も無いほどの人が座っている。私達も神妙な面持ちで座っているうちに、読経が始まった。S水さんが木魚を敲きながらお経を読んでいる。薄暗い空間で大勢の人が作り出す独特の雰囲気は神秘的なものだった。と同時に正座に弱い私は、これは大変だぞと直感したが遅かった。あとで時計を見ると四十分程度の時間だったが、終わってすぐには立ち上がれないほどに足の感覚は無くなっていた。N間さんも同じ状況だったらしく、その後しばらくは立ち上がろうとするたびにヨロメイテシマウ状態で二人でお互いの肩に手をかけて感覚が戻るのを待たざるをえなかったのである。
「ブアアアァア」ホラ貝が鳴り響く。十数人の山伏さんが私達を先導して、蔵王堂への行列が進み始めた。いよいよ本番である。曇っていた空から太陽が顔を出し、暖かい陽射しも私たちを応援してくれる。全員白の道着と袴に身を包む。蔵王堂に到着し、堂内の蔵王権現様にご挨拶をして、いよいよ演武開始である。山伏さんのほら貝の鳴り終わるのを合図に先生が英信流正座の部一本目「前」を抜く。「浮雲」、「四方切り」。続いてI谷さん、N尾夫人を含めた三人で「受け流し」。そして全員で「柄当て」、「三方切り」、「添え手突き」、「抜き打ち」と演武した。先生も何時に無く緊張されていたようであるが、シーンと静まり返った雰囲気の中、誰もが集中して演武出来たのではないかと思う。「大護摩供」という金峯山寺の行事のなかでの奉納演武であったが、各人の居合人生の中での一つの記念碑となることは間違いないと思う。また裏方として支えて頂いた三人の会員の方にも感謝したいと思います。
「大護摩供」にも参加させて頂いた。テレビや写真などで見るものとは違い、山伏さんたちの迫力に圧倒された。同時に一万本はあろうかと思われる護摩木が大きな炎となって燃え上がる光景に何か、単純な物理的現象ではなく、沢山の人の心のエネルギーが炎となっているのだと思えて仕方がなかった。
「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されたわけであるが、それはつまり“自然とその中に生きる人間の営みによって形成された文化的景観」自体が評価されたものだということだそうである。私達も居合の稽古をする際に先人達が伝えてこられた技の奥にあるものに、少しでも近づけるように意識した稽古をしなければと改めて感じた。
東雲会が誕生した今年、世の中は暗い出来事が多すぎた。だからどうだと分かったようなことを言える柄ではない。しかし人間は所詮自然の一部であり、自然の偉大さを感じつつ生きていくべき存在である。そして人間同士互いの価値観を尊重しあうことの大切さを改めて確認することが求められている。
“常に相手を思いやり、互いの価値観を尊ぶ。すべてを認め、一切をゆるす。自然を敬い、神仏を隔てず信仰する精神文化が人類が希求する「共生」、「和合」への道筋を示す”と金峯山寺の公式ガイドブックにあります。これを「恕(じょ)」の心というそうです。
なお今回の合宿、東南院様には過分のもてなしを頂き本当に有難うございました。