9月17日の稽古が終わって、道場の近くのいつもの銭湯で汗を流す。そのあと居酒屋Oで反省会。その日は(大体いつも)、皆ビールを飲むばかりで、居合の話をする人はあまりいない。時折先生が
「オイ、居合の話セエヤ」と仰るのだが、皆聞こえぬ振りをしては飲んだり食ったりに忙しい。居酒屋○はその日が4周年記念だからいうことで、生ビールが一杯50円だった。私はビールを飲んだ後は地酒を注文することが多い。それを知ってか、H中さんが
「●●さん(私のこと)、今日はお酒たのんだらアカンデエ!」といつに無く厳しい。そのとき突然先生が「●●さん、23日、山イクデエ」と仰った。「?」と顔ではいい加減な対応をしたが、私は一瞬にしてすべての計算を終えた。それは次のようなものである。
・以前に私が大文字山から比叡山の山歩きを、あるアクシデントから 途中で断念し、それ以来山へ行く勇気が出ないと話したことがあり、 先生が覚えておいて頂いたこと
・それは有難いことであるが、先生はペースが速い=しんどい
→で きれば避けたい
・きっと他の人は知らん振りをするだろう。
・翌日の金曜日の稽古はしんどいなあ
・確実な雨は期待できそうも無い
・とりあえず帰宅して予定表を確認しなければとこの場は逃げよう。しかしすべては望ましくない方向に向かった。
N尾氏曰く … 「カルイカルイ、ラクラク」
K井さんに目を向けると … にこにこ笑って「頑張ってな」。
(ワシのとこへお鉢まわらんでよかったあ〜。と安堵の表情)
I谷さん … 「東雲会は山歩きのあとも必ず稽古!」
(くそ他人事やと思いやがって)
先生 … 「雨降っても行きますから!」
〃 … 「帰って確認せんでも、仕事なんかあらへん、あらへん。
大丈夫、大丈夫」
ということで先生と私の二人で伏見稲荷から蹴上、南禅寺から大文字山、下山後銭湯でさっぱりした後ビールを飲んで帰るという下山後だけ参加したい山歩きが決定した。なんとも非人道的な会である。
9月23日、目を覚ますと雨の音が…していない。かすかな望みもたたれ、かくなるうえは「親戚に誰か一人犠牲になってもらうか」とも思ったが、あまりにも見えすいているため断念した。京阪の京橋で先生と落ち合うと、木の(ンではない)玉を2個頂いた。手の中で廻せと仰る。つまり刀を扱う上での手の内の鍛錬を目的としたものである。しばらくやると慣れてきて手前に廻すのは結構うまく廻すことができるが、その逆はやはり難しい。人間、日常生活で使う筋肉そして身体の動きが如何に限られているかということがよく分かる。
京阪の伏見稲荷の駅を降りて、伏見稲荷の境内へ入っていく。意外と狭い参道であり、初詣のときはすごい状況だろうなと思った。伏見稲荷境内の千本鳥居をくぐりぬけ山道を歩く。結構快調にこなしていけた。途中泉涌寺、将軍塚などを経て京都市営地下鉄「蹴上駅」にお昼頃に到着。あとでハイキングの本を見ると距離10キロメートル、所要時間 2時間41分とある。これで終わればソラ結構ラクヤ。ところがここから昼食をはさんで大文字山に登るのである。全行程約17キロメートル。ソンナアホナ…。
昼飯を食うと、いよいよ出発である。まあ、あと7kmぐらいしかないことやし、時間も予定通りやし、気楽に行くか。そんな感じで南禅寺の境内を歩いていった。「日向大神宮」の方からではなく、「南禅寺」の方から行くということがどういう意味をもつか、その時の私には全く理解できていなかった。南禅寺の境内に突如現れる疎水に、ああこれがよく写真で見るやつやなと思ったり、寺がよく設置を許したもんだなとかしょうもないことを考えたりした。あるいは先生の「この木はかくかくしかじか、これがあれで、あれがこれで…」などという講釈に適当にアイズチを打ちながら、暢気なものであった。「こっちからやとなあ、●●さんが行ったコースよりも大分近道になるんや。」と言う先生の言葉にも、「ああそりゃあ、ええですなあ」と他人事のような私であった。
高低差のない2点間を移動する場合には距離の短い方を歩くことが賢者の行動である。しかし「高低差」がある場合、賢者は距離の長い方を歩く。理由は少し難しいが、要するに楽なのである。
「先生、どこまで続くんですか、この登り」。アイガー北壁とは言わないが、両足だけでは登れず、両手も使いながら登らざるをえない山道が延々と続く。先生は贅肉のない健康優良中年であるが、こちらは肥満度17%おまけに各種成人病指数基準値オーバーの典型的な不健康中年である。必死の思いで、登っていくこと十数分。やっとの思いで、通常のルートにたどり着いた。
しばらく休憩。ワイワイガヤガヤという賑やかな話し声が聞こえてきた。数十人はいようかというじい様ばあ様の団体である。「こんにちは」「こんにちは」と挨拶を交わしながらも、私は少々違和感を感じる。勿論非難するつもりもないが、何事においても価値観の違いが現れる。実はこれまでの私の山歩きは常に独行であった。またそれがひとつの楽しみでもあった。歩いている間いろんなことを考える。そういう楽しみ方もあると考えている。しかしこれからはしばらく複数人で歩いてみようと考えている。そこからまた新しい発見があるはずである。
ふと先生を見ると、座り込んで靴を脱ぐと、靴下を脱ぐ。「?」。どうやら足の裏にマメができて水がたまったのを治療するつもりらしい。竹串の先をライターで消毒し、マメに突き刺しては水を出す。私も昔剣道の合宿でできた血豆をカッターで切って血を出しては、そこに乾燥剤を入れて治療をしたのを思い出した。これでペースが落ちるなと内心喜んだが、あまり変わらなかった。
またしばらく歩き続けると、突然視界が開けた。あの大文字の火床に到着である。あのじい様ばあ様達も相変わらずにぎやかに談笑している。眼前には京都市街が広がっており、遠く大阪方面もうすく見える。晴れた日には梅田の高層ビルが見えるそうである。さあ、あとは銀閣寺の方に下山して、近くの銭湯で汗を流して、どっかでビール…という予定であるが、予定は狂うから予定なのである。あまりにも時間通りに歩きすぎたせいか、銭湯に着くと、まだ30分以上時間がある。
「京橋へ戻ろう。こないだ電車から煙突が見えとった。あそこに銭湯があるはずや。あそこ行こ」。その考え方ちょっと安易なんちゃいますかとは言えず、私も30分待つよりはええやろと思い、一路大阪へ。しかし“煙突=銭湯”は成り立つのかという、非常に興味深いテーマについて議論をすることもなく、居合の話などをしていると到着。煙突の方向へと歩く。鶴橋方面に戻り、川を渡ると2本煙突がある。「あの煙突やろ」、「いやこっちの煙突がさっきから見えとった煙突ですよ」。1本目の方は銭湯ではなく何かの工場の煙突だった。2本目の煙突に行くとこれもレンガ工場の煙突であることが判明した。“煙突=銭湯”は成り立つのかという課題に答えが出たと思ったとき、先生の「あれはなんや」という声がした。指差す方向になんとあの昔懐かしい温泉マークが見えるのである。奇跡はこのようにして起こるのであろうか。あるいはやはり“煙突=銭湯”は成り立つということなのか。“煙突 だいたい 銭湯”ということなのか。いずれにしても無事に銭湯で疲れを癒した後、IMPビルのビアレストランで山登りの時間と同じぐらいの時間を過ごした。完。