いつか〜きっと〜の巻
ホーム 上へ 不届き者のつぶやき の巻

 

 居合の技は沢山あるが、「前」という最初の業が後のすべての業の基本になる。抜き付け・切りおろし・血振り・納刀といった基本的な動作がシンプルに織り込まれている。一度の稽古で、少なくとも10回以上抜くはずであるから、年間1000回は抜く、10年やれば1万回ということになる。一万回やれば完璧に抜けるはずだと、思われるかもしれないが、そうではない。人間の体ほど自分の思い通りに動かせないものはない。

 如実にそのことが身にしみるのが組太刀である。剣道の地稽古のように自由に打ち合うのではないが、仕太刀(勝つ方)と打太刀(負ける方)に分かれて、実際に木刀で剣を交える。したがって現実の敵を前にして刀を抜く実感があるが、それだけにいつもの居合の稽古とはまったく違い、今まで自分がやってきたのは何だったのかという思いにとらわれる。大きな壁が現れる。

 仮想敵を意識して抜く居合はどうしても「マイペース」になりがちであるが、組太刀ではそれが許されない。「マイペース」な居合というのは本来あってはいけないのであるが、どうしてもそうなりがちとなる。剣道にしても居合にしても目的はひとつ、敵に勝つということである。 難しいことではあるが、対敵動作だということを瞬時も忘れずに稽古はすべきであろう。私たち東雲会は師匠の考え方で、このような相互補完的な稽古の方式を取り入れて頂いている。非常に難しいことだが、間違いなく正しい道であると確信している。

 私の母校の剣道部の言葉に「百錬自得」という言葉がある。何度も何度も稽古をすれば、自ずと会得できるといった内容なのであろうが、何年稽古をしても、まだまだ「門前の小僧」にもなれそうもない。勿論努力不足、工夫不足、能力不足などなど色々の原因があるだろうが、なぜだろうという姿勢を捨てずに、意識した稽古を続ける限り、 いつかきっとできる日が来る、そんなふうに考え悩みながら、今夜も道場に足を運んでいる。

 夏の夜の 稽古の後の 生ビール 

                          千里山の凡人