ゴルフの打ちっぱなしで少し腰に負担がきたという感じがしていた。家に帰ってから、よせばいいのに脇腹の贅肉をおとすための運動をしたことも加わってか右腰が痛い。翌日金曜日の稽古はみとり稽古としたが、日曜日に大阪城内にある武道場「修道館」で行われる段別の大会に出場予定である。近く行われる団体戦では次峰として出場させて頂く予定のため、この段別大会は慣れるためにも出ておきたい。
土曜日の午前中に自宅から市営の武道場に個人的な稽古に出かけた。いつもなら素振りから始めるのに、何故か刀礼後すぐに「前」を抜く。「あっ」と思ったが遅かった。鞘を握る左手の親指と人差し指の間の付け根にピリッという痛みが走った。本身を使うようになって2回目、久しぶりに切ってしまった。これが本番だったら、無様なことで師匠に恥をかかせたと思うと情けなかった。鞘引き不足である。でも逆に言えば今日このように稽古をしておいてよかった。すぐにメンソレータムを塗って血を止めて、バンドエイドを貼る。
腰の状態をこれ以上悪くしてはいけないと思いつつも、いざ稽古を始めるとついその気になってしまう。軽くひととおり所作の確認にとどめようと思っていたのに、結局午前中の退場の時間ぎりぎりまで稽古をして、結構汗をかいてしまった。演武の予定技は
1. 前
(英信流 正座の部)
2.
月影 ( 〃 〃 )
3.
鱗返し( 〃 立膝の部)
4.
袈裟切り( 制定居合
)
5.
顔面当て( 〃 )
当日は会場での素振りも出来ないはずである。家を出る前に少しだけ時間があったので気持ちを落ち着けるために10分間だけ抜いた。やるべきことはやった、これで十分である。会場に着き、会場設営の仕事を手伝った後あたふたと稽古着に着替える。刀を出して、峰に椿油をうすくひく。開会式が進んでいくなか、緊張感が高まっていく。会場に来る間の電車の中で読んでいた柳澤桂子さんの「生きて死ぬ智慧」の文章を思い出していると、気持ちが落ち着いてきた。
「始め!」。とにかく鞘引きをしっかりやろう、そういう意識で仮想敵の眉間に抜きつけた。全部で五本の技(5本目は諸手突きだった)が気持ちよく抜けた。とにかく充実感があった。審判の旗はすべて相手に上がったが、さわやかであった。
何年かの中断の後、居合に復帰させて頂くにあたって、段にはこだわらない、試合に出れなくてもいいという、そういう気持ちだったが、それは間違っていたというのが現在の正直な気持ちである。昇段を目指すこと、試合に出ること、勝つこと、それを「目指す」のが大切であり、その過程での努力そのものが得がたい素晴らしいものであると気が付いた。学生時代の剣道は初心者として始めたことも手伝って選手としての活躍はできずじまいであったが、50歳を幾つも過ぎた今まさに真剣に居合に取り組める環境を楽しんでいる。そういう意味でも、夢子さん、あたたかく送り出して頂いて感謝しています。もっとも「たまには勝ちなさい」と仰いますが、今日の相手は優勝した方です。しかしね、相手には負けましたが、少し意識していた「平常心」ということが感覚的に今日は「できた」気がするのです。それだけで私にとっては居合をやった意義があります。そして来年は一旗を目指すのではなく、勝ちにいく所存です。