「オールウェイズ3丁目の夕日」を見ようと大阪梅田の映画館に夢子さんと出かけたが、次の上映まで予約が満杯という。それにもまして入場予約の行列のあまりの長さに驚いてしまった。結局買い物をして、お茶を飲んで(この私がお茶ですよ、オチャケでもないのですよ)、映画は観ずに帰ってきた。昭和30年代前半に少年時代を迎えたので、是非機会をみつけてみようと思う。
写真は「大阪くらしの今昔館」で見かけた模型「はじめてテレビを見た日」である。写真左手に、祖父と孫達が行儀良く並んで正座してテレビに見入っている。“昭和32年ごろ、家庭に白黒テレビが登場。”とある。祖父母がいて、母がいて、と思ったらもう一人大人の女性がいる。あれっ、ということは曽祖父母〜孫の4世代の同居か?亭主はまだ仕事から戻っていないのか、それとも?
高度成長期、大阪市内に建てられた団地は近代的なキッチンなどの設備が備えられた最先端の住まいであったという。そう思うと、あらゆる面で本当に豊かになったものである。言い古されたことなのかもしれないが、物質的な部分が豊かになって行くにつれて、人の心がかえって貧しくなっていくというのはどうしてなのだろうか。逆に言えば物のない時代に豊かさを求めて一生懸命努力する、そのときにしか人の心の豊かさはないのかもしれない。つまり人間というのはそういう困った存在ということなのか。
そろそろ紅白歌合戦が始まる時間。食卓で話しに興じている女性たちも華やかなテレビの画面に魅せられていくのかもしれない。年越しそばを食べながら除夜の鐘を聞き、明日は誰がいくらお年玉をくれるかなと計算をして、戦艦大和のプラモデルを買う…たいていはいつ寝たか、気がつくと元旦だった。