「常識」という非常識
ホーム 上へ 強制、成長そして責任

 

 生まれて初めて株をやってみた。昨年の暮れに友人から勧められた銘柄を年初にちょうど100万円で買った。春に居合に使う日本刀を買うつもりだったので、少しでも足しになればという魂胆だった。ところがあれよあれよという間に90万円を割り込んでしまい少々あわてたが、年初に経済評論家の森永卓郎さんが株は今年の後半に上がりますと仰っていたのを思い出してぐっと我慢した。もっとも、その銘柄を勧めてくれた友人を信頼して買ったのだから、トコトン持ち続ける腹積もりはしていた。そこへ先日来の株価の上昇である。心は乱れた。結局108万円で売却したが、その後も株価は高水準を維持している。早まったかなとも思ったが、友人のアドバイス、息子の勧めに従った。手堅く稼ぐ、これも株をやる上では「常識」らしい。

 もっとも所詮はギャンブルだと思っているので、一切内容の検討はしないし、できもしない。息子に言わせれば、「おやじ、自分の考えはないんか」となる。ないといえば無いし、あると言っても大したものではない。息子は競馬もやるので、たまに気が向いたときなどついでに買ってもらうが、息子の予想などはほとんど参考にはしない。これもただ自分の誕生日と家族の誕生日を適当に組み合わせて買う。考えといえばそれだけである。それで一度7万円ほど儲けたときには、「やってられんな」と息子に嫌味を言われた。株を買うぐらいだったら、日本経済新聞ぐらい読むのが常識かもしれない。競馬の馬券を買うのであれば、競馬新聞を買ってちゃんと検討するのが普通だろう。そういう「常識」を踏まえないで行動すると、大抵の場合馬鹿にされるのが落ちであり、下手をすると変人扱いされかねない。大阪くらしの今昔館にて

 話はちがうが、ある居酒屋のHPで、その店が扱っている樽酒を提供していた灘の蔵元が廃業するというのを知った。大変気に入っていた酒であり、残念でたまらない。一体どうしてこんなことになるのかと考えてみると、日本酒についての誤った「常識」 が日本酒の売れ行きを落とした末の結末だと言えるのではないか。「世界一旨い日本酒 熟成と燗で飲る本物の酒」(古川修 光文社新書)によれば、日本酒低迷の原因を簡潔に次のようにまとめておられる。

@     アルコール大量添加、調味液添加のまずい酒を造り続けていること

A     一部のマニアしか喜ばない、派手な香りのぷんぷんする酒を指向した商売をしていること

とある。@の酒はほとんど砂糖水と言ってよいだろうし、Aの酒はフルーツの香りのする若い女性の好きそうな冷たい飲み物である。世の中の居酒屋で飲むことができるのは@とAしかない。それが日本酒の実態であり、「常識」であるらしい。また古川氏は日本酒は少なくとも常温で、できれば燗をして飲むべきだし、本当にしっかりした酒は燗冷ましでこそ、その真価を発揮すると言う。これらはすべて現代の居酒屋での「非常識」である。

 このように間違った「常識」が正しい「非常識」を笑う限り、日本酒の低迷は続くだろう。日本人が日本酒を駄目にしていくのだから、救いようがない。そのうちに良心的な蔵元は姿を消し、大手の蔵が中国あたりで作ったのが出回ったりする時代が来るかもしれない。株も競馬もやめればすむが、日本酒は私の生活必需品の一つなので、間違った「常識」に大きな顔をされてはいい迷惑である。そんな日本酒の未来を案じながら、今夜も「能勢福」(大阪府北部の能勢の蔵、秋鹿酒造の純米酒)を飲む。もうすぐ秋が来る。お酒が美味しくなる。

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