強制、成長そして責任
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 「平成の牛若丸」等の異名をもち、「猫だまし」、「三所攻め」などの多彩な技で活躍して数年前に相撲界を引退した舞の海秀平さんの記事があった。小学生の頃町の相撲大会で優勝した後、中学で相撲部に入ったが、毎日やめることばかり考えていた。まわりの生徒はみな身長が伸びて、身体が大きくなっていき、ついに2年生のとき小学生の頃自分より弱かった子に負けてしまいやる気をなくしていたという。

 ところが当時の相撲部の顧問の先生がやめさせてくれない。逃げようとしても待ち伏せしていて、土俵に連れて行かれて、猛稽古をさせられた。結局はそのときの努力にも報われて、舞の海さんは相撲界でご存知のとおりの活躍をされたわけである。そのことを振り返って、当時の顧問の先生が無理やりにでも相撲を続けさせてくれたのが、今の自分を作ってくれたと仰っている。子供が放り出そうとしても、やり遂げるまで親や教師が「強制」することも子供の「成長」には大切だと仰る。

 じつはわが家では一人息子を中学受験させた経験がある。小四から小六までの三年間を塾漬けにしたわけである。入った学校は高校受験もない中高一貫校だったため、かなり自由で、のびのびとした、それでいてしっかりとした教育を受けさせて頂いたように思う。俗にいう受験一色の管理教育的な学校ではなく、先生・友人にも恵まれた六年間だったろうと思う。そういう意味では親や教師の比較的低年齢での「強制」ということも結果的には正しかったし、色々な意味でも「成長」してくれたのではないかと思う。

 ただその反面、親としての子供に対する接し方が「強制」を境に変わってしまった。受験という目的のために、本来あるべき家族の姿は不自然にゆがめられてしまった気がするし、その三年間はもっと自然に様々なことを学ぶべきではなかったか、そう考え始めるとあれでよかったのかと思う。論理的な思考に役立つと思っていた算数にしても、最近息子と対話をすると論理的 すぎる思考が対話を邪魔していると感じることさえある。自然に流れていた家族の時間のなかに、あえて余計なものを押し込んだツケが どこかに潜んでいるのではないかという気がする。息子がこの先どんな人生を歩んでいくのか、そしてどう「成長」してくれるのか、「強制」した限り 、その責任は私たち夫婦にあると腹を据えねばならない。

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