藤沢作品の魅力
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 「夢みるさん」が言うように時代小説ばかり読んでいた時期があった。寺尾聡主演で映画化された山本周五郎氏の「雨あがる」を新潮文庫で読んだのが最初だったと思うが、次は池波正太郎氏の「剣客商売」シリーズをこれも文庫本で沢山読んだ。無外流の老剣客秋山小兵衛、息子大治郎、そして女剣士佐々木三冬(後に大治郎の妻)の世界に浸りながら、休みの夕方に一人 のんびりと地酒を飲むのは結構楽しいものだった。しかし「蝉しぐれ」で出あった藤沢周平氏の世界はまったく違っていたという気がする。他の作品を次々と読みすすんで、「海鳴り」(上・下)にたどり着くと、もう山本周五郎にも池波正太郎にも戻る気はしなくなった。

 なぜなら山本周五郎氏の作品に登場する人物達はあまりにも好人物たちが多すぎる気がしたし、池波正太郎氏の作品はたしかに面白いが、ひとつひとつの作品が心に残るという感じ がしないように思えた。その点、藤沢周平氏の作品に登場する人たちは有名な作品だけでなく、いわゆる小品にもいまだに生き生きとした印象を残してくれる主人公たちが多い。本棚の左から池波氏の作品を並べていたが、右から並び始めた藤沢氏の作品はあっという間にその段のセンターラインを超えてしまった。玄関脇の鉢植えの花

 映画化された「たそがれ清兵衛」、NHKで放映された「三屋清左衛門残日録」、「蝉しぐれ」が有名であるが、私はむしろ「海鳴り」(上・下)という作品が好きで、二度読ませて頂いた。主人公は武士ではない。紙問屋の主人新兵衛と同じ く紙問屋のおかみ、おこう との恋物語である。四十路も半ばを過ぎ、“商売にも家庭にも生き甲斐を失い”、自分の視線の先には老いへの道が待っているだけだということに気付かされたときの心情が身につまされる。他人事ではないという気がするのである。

「そうしていがみ合ったり、笑ったりしながら生きて行くのが、人間のしあわせというものではないだろうか。そういう平凡で、さほどの面白味もない、時にはいらだたしいようなものが、じつはしあわせというものの本当の中身なのではなかろうか。…」、 おこう と駆け落ちすべく、いよいよ家を出て行くときの新兵衛の心中の描写の一部である。家とは何か、しあわせとは何か、そして真実とは何か、結論を得ないままに主人公は新しい世界に飛び出していった。皆そうではないだろうか。悩みながら、迷いながら、日々が過ぎていく。そんな誰の心のなかにでもある ようなことを藤沢氏は様々な作品を通して私たちに語りかけ、問いかけてくれる。だから共感し、二度も三度もひとつの作品を読み返したくなるのではないだろうか。 

もっとも何度も読み返すのには別の理由もある。現実にはとてもいそうにない、きわめて魅力的な女性たちに会えるからであり、そしてまたこんな文章に出会いたいが為でもある。“みさは首を振ると、つと清左衛門に胸を寄せて来た。そして低い声で、ちょっとだけわたくしを抱いてくださいませんかと言った。”(「三屋清左衛門残日録」より)

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