「○○工業の▲▲さんから電話があったけど〜?」。妻には内緒にしていた仕事であった。頂いた報酬も「内緒」にするつもりだった。なにげない言い方ではあるが、こちらの出方次第では「着服
未遂である。不届き千万。貯金箱没収のうえ、以後**ヶ月の小遣いにて弁償させるものなり」などという冷酷非道な暴挙に出る危険性を感じ取ったので、数日後○○工業さんの小切手は妻の手に渡った。
そのころから、どちらからともなく、7月に入ったらどっかに旅行でもしようかという話が急浮上した。例年7月は少しゆとり(時間的に)があるので、数年前には思い切ってパリ、ロンドンに行ったが、その後は毎年どっかへ行こうかという話は出るものの、そのたびに「ちょっと行くだけで10万円近くもかかるなあ」、「そうやね。どうする?」「やめとこか」、「そうしょうか」で結局行かない。新聞とかインターネットとかにはいろんな旅行の企画が盛りだくさんである。今年は一人2万5千円程度でホテルに泊まって貴船の料亭「べにや」で川床料理を頂くとか、桂小五郎と愛人幾松で有名な料亭「幾松」で鴨川を眺めながら夕食をたのしむというリッチなコースが目にとまってはいたのであるが、これも「二人で行くと5万円もかかるなあ」「そうやね。どうする?」「やめとこか」、「そうしょうか」。

今年はあの小切手があるというのが二人の共通認識だった。臨時収入として位置づけられたので二人とも真剣にいろいろと検討したのだが、ここ数年は
どちらも決断力に乏しく、結局例年通りうやむや状態であった。そんなとき妙案かなと思うことが頭に浮かび提案した。「写真をパソコンに取り込めるスキャナが2万円弱であるんや。旅行の替わりにこれ買おかな。Yoshicyanも旅行の替わりになんか買おたらどうや。」「フーン。そやな、私も翻訳機買いたい思てたんや」。
数日後、「あの話な、もおちょっとしてからにするわ」、「私もやめとくわ」。毎年繰り返される大阪のおっさんとおばさんのけだるい会話である。
そしてまた数日後、蝉の鳴く声が聞こえ始めた日、妻が言った。「あの小切手な、真珠婚式の年の記念旅行用に貯金するわ。」「…」
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