学生時代のゼミの友人に教えてもらった店がある。価格的にも適切な価格の店だと思う。したがって俗にいういわゆるグルメの店ではないと私は思っている。地下鉄御堂筋線、JR環状線天王寺駅近くの路地裏に「グリルマルヨシ」がある。土曜日の午前中に奈良方面のお客さんのところに行き、その帰りに、時間が昼食時を少し過ぎることがあるが、そんなときにはちょっと足を伸ばしてこの店による。注文するのはサービスランチそれに生ビール
一杯(合わせて1700円)。
行ってみればわかるが、洒落た店構えではなく、どちらかといえば古ぼけた佇まいといえなくもない。店内にも無駄な装飾などはなく、ただ料理人の方たちがきびきびと働いていらっしゃる
のが印象的な店である。ビールを飲みながら、料理が出来上がっていく様子を見ていると、うれしくなってくる、そういう店である。
もう一軒好きな店がある。数年前まで新大阪駅の近くに住んでいたことがあるが、当時の自宅から徒歩数分、住宅街の中に知らなければ通り過ぎてしまいそうな店がある。「一粒の麦」。数年前にグルメ雑誌で知った店である。定員は10人に満たないのではないか。
こちらも洋食屋さんである。禁酒・禁煙、ご主人はクリスチャン。店の名前もそこから来ているらしい。したがって私のような酒飲みの行くべき店ではないのかもしれない。でも今でも近くに行ってお昼にかかる頃になるとあっと思い出して、その都度利用させて頂く。750円のランチでちょうど満腹となる。
価格的にも量的にも私にはちょうどいい。若い人が行列をする店でもないところが、さらに好ましい。1700円あるいは750円を高いと思うかどうかは別として、ほんのちょっとのたまの贅沢でこころは満たされる。
それにひきかえ昨今都心にある小奇麗なチェーン店に入るとがっかりする以上に腹が立ってくることさえある。食べようとするとコロモがはがれていくトンカツが出される店、ビールを飲み終わっても最初に注文した料理の出てこない店、挙句の果てには痺れを切らせて勘定をしているとレジにその品物を持ってきた店まであった。ここまでくるともう開いた口がふさがらない。
私は上記の二つの店が気に入っているが、どちらの店もそこで働いていらっしゃる方たちが誇りと喜びを感じながら仕事に就いているという充実感がこちらに伝わってくる。自分の好きな仕事ができるということに喜びを見出し、そんな環境下で努力して自分でも納得できる力をつけていく、そんななかから次第に自分の仕事に自信と誇りを見出していく。つまりは自分の仕事に真剣に取り組んでいるということである。
内橋克人氏が「清貧の思想」(中野孝次著)に寄せた解説に次のような記述があった。
“なぜコミュニティとともに歴史を刻んできた小規模な専門店でモノを買わず、わざわざ車を駆って、ガソリンを浪費して、郊外の巨大ショッピングセンターに走るのか、を問え”
消費者の賢明な選択がなくなれば、街中から上記の二店のような店は次第に姿を消し、私たちは時間給*百円に満足はしても自らの仕事の質に無関心な人たちのつくるトンカツや、まるで
ニワトリ小屋
で供される餌をついばむニワトリのようなスタイルでの回転寿司に満足しなければならなくなるのではないだろうか。
追伸:上記二店ともヤフーで検索すれば出てきます。
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