姿を消してしまいいつつあるものにソロバンがある。職業柄、若い頃はソロバン無しでは仕事にならなかったし、使えば使ったで、間違いが多いためこれまた仕事にならなかったとも言える。私のようにソロバンの素養のない社員も多かったせいか、当時勤めていた会社では社内計算競技大会なるものが毎年秋に催されていた。経理部に所属する社員はいやでも参加せねばならない。その計算競技大会の内容は見取り算、掛け算、割り算、伝票算、そして最後に暗算の計5項目である。ところが昭和55年からだったと思うが、電卓の使用が認められたのである。電卓を使えば、暗算以外はすべて100点。暗算が勝負である。暗算だからどうやろうとかまわない。私はまず1の位を計算、次に10の位、といったソロバンとは全然関係ないいわば算数のやり方でやった。当時はまだ頭も若かったせいか足し算だけの暗算は完璧だったが、引き算の入った暗算はできなかったため結局500点満点のうち常に460点という成績だった。それでも仙台の地区大会では個人で2位になり、賞状と賞品を頂いた記憶がある。からくりを知らない妻は目を丸くしていた。
お笑いだったのはその後である。地区大会の優秀者が集まる全国大会が本社で開催された。当時勤めていたM社にはソロバンの達人が集まっていた。ある事業部のKさんはその年だったかどうかは定かでないが、NHKの紅白歌合戦に呼ばれて、白組、紅組それぞれに投じられた票を一瞬のうちに暗算で集計し、喝采を浴びていた。そんな方たちのソロバン大会は異様である。ソロバンには触らないのである。すべて暗算で済ましてしまう。途中で場違いなところに来ていることに気付いたが、遅すぎた。頑張れよと妙な笑顔で送り出してくれた上司の真意がそのときになってわかったが、とにかく何もなすすべもなく、ただ座るのみであった。松井やイチローがガンガン打っているそばで、ポカンとして立っているようなものである。後ろに居並ぶギャラリーに目を向け、ギブアップの照れ笑いをするのが精一杯であった。ショックが大きすぎたのか、続けて参加した3人一組で行う決算競技大会も大した働きができず、参加賞しか頂けなかった。
現在の私の仕事である●●●はソロバンと机があれば開業できたという話も聞いた気がする。ある資料が1円合わないのを解明するのに何日もかかったという話もある。実際私自身一枚の資料のたてよこの計算があわず、何時間もかかって間違いを発見した経験がある。しかし、かくいう私でもパソコンのない●●●業務はもうできない。段ボール箱の中で眠るソロバンが私の机の上に置かれることはもうないだろう。
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