自由とリスク
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先日2001年7月に発生した兵庫県明石市の歩道橋での事故で、亡くなられた方のご遺族が起こした訴訟の判決が示された。兵庫県警・明石市などに対して総額5億6800億円の賠償を命じる判決が示されたという。

ただ私が気になるのは大阪教育大学附属池田小学校での殺傷事件などの事件のように明らかな殺意のもとでの事件と異なり、判決内容に示されるごとく「被告のいずれかの1者でも万全の準備を行っていれば事故の発生を防げた可能性があり…」という部分である。

じつは私にも少し似た様な経験がある。20年以上前仙台にいた頃、たしか仙台七夕祭りの頃であったと思う。仙台駅から当時住んでいた名取駅まで帰るために、家族三人で乗り込んだ列車に沢山の乗客が乗り込んできた。そのうちにすし詰め状態になる。一人でも少々危険かという感じがしてきた。そのときはまだ1歳にならない息子を抱えた状態だった。仙台駅の対応は皆無であった。「これはまずい。危険だ」という気がしたので、少し考えた末に意を決して、まわりの人を押しのけて下車し、妻とともにタクシーで帰宅したのを思い出す。仙台駅に対して怒りを覚えたが、事故はなく私の杞憂に終ったのは幸いということなのか、私の判断が過敏だったということなのか。ただそのときは自分及び自分の家族は自分が守るという意識のみであり、過敏であろうとなかろうと今でもあれでよかったとしか考えられない。事故は起こってからでは遅いのである。四天王寺、弘法大師像

絶対に誰かが守ってくれる社会などはない、そう思って生きることが必要なのではないか。私は判決をそう受け止める。しかし「戦後の民主主義」はその点を勘違いさせているのではないのかという気もするのである。

先日の新聞紙上で知ったのであるが、煙草を吸ったために肺がんなどの病気になったのは国のせいだとして訴訟に及んだ人がいるという。敗訴になったと記憶するが、私の感覚には程遠いことである。あるいは人ごみの中で、自分の子供が走り回ろうと、咎めもせず「自由」にさせる親は多い。誰も咎めないから子供はやりたい放題である。事故が起こったときどうするのか。

「自由」とは何なのだろう。戦後は「自由」があがめられた時代ではないかと思う。ただ「自由」という言葉の意味を言葉の重みほどに意識して解釈する努力が為されたのだろうか。「自由」とは少なくともリスクを自覚する人に与えられるべきものではないかと思えてならない。

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