アルバイトあれこれ
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  学生時代いくつかのアルバイトをした。やはりスタンダードなのが家庭教師か。大学の学生課には常に何件もの家庭教師の求人のビラが掲示されていた。私は文系だったので、理数系統の科目は不得意だった。たいていは「数学」という科目が入っているのだが、ある日英語だけで月たしか8千円(週1回2時間、現在価値で2万円ぐらいか)というのがあり、4倍の競争率をジャンケンで勝ち抜いてゲットした。

 行ってみると賢そうな中学生、ご両親もしっかりとした方で、教えてみると理解も速い。なんでこんな子に家庭教師が必要なのかとも思ったが、せっかくのご縁と思い精一杯勤めさせて頂いた。残念なのはその8千円がどこに消えてしまったのかまったく思い出せないことである。申し訳ないことに学費にあてたのでないことは確かである。すみません。ほとんど勉強しなかったが、母校

 同時並行でこういうのもあった。私の通う大学は大阪市営地下鉄の終着駅の近く(当時)にあり、その地下鉄の車輌に関連するアルバイトである。どういうわけか、あるいは信用か、所属する剣道部代々のアルバイトで、内容は窓閉めと車内広告の付け替えというのがあった。広告の付け替えは理解できると思うが、窓締めとは何かと思う方があるかもしれない。当時地下鉄にしてもJR(当時は国鉄)にしても冷房車輌はほとんどなく、地下鉄は全車両が非冷房車であったため、終着駅に着いた車輌の窓ガラスは空いていたのである。車輌は車庫に入る前に洗車ブースを通過するため窓を閉めなければならない。進行方向一番前から乗り込んだ2人は後方に向かって走りながら窓を閉めていく。たいていは間に合うのだが、開いている窓が多い場合は間に合わず、空いたままの窓から洗車機のシャワーを浴びるということもあったと記憶する。しかし割りのいいアルバイトだった。これもどこに消えたのかアルバイト代。

 アルバイトとは本来勉学の合間をぬって行うべきものであり、けっして学生の本分たる学業をおろそかにすべきではないというのが私の信念である。しかし信念というのは幾多の苦難により挫折することが多い。苦難にもいろいろな種類があるが、それも仕方のないこともある。学友の多くは悲しいかなそういう道を辿らざるを得ないことも多かったようである。かく言う私にも様々な苦難があった。思い返せば悲喜こもごもであるが、あのとき彼が赤ウーピンを捨ててくれれば、私はかようなアルバイトをせずにすみ、ひいては優秀な成績で卒業し……というのは考えすぎなのだろうか。真偽不明のまま、卒業してから31年がすぎてしまった。

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