自分の意外な一面
ホーム 上へ まけおしみ

 

いわゆる「脱サラ」をしたのは20年以上前のことである。目的としていた資格をなんとか取得したものの、現実は甘くない。しばらくは昔の職場の上司のご好意で経営コンサルティングのメンバーに加えて頂き、コンサルティングの仕事をさせて頂いた。そのうちにその会社が実施するセミナーの講師の仕事のほうが多くなった。多いときには月に4回ほど東京から福岡まであっちこっちに飛び回る日々が続いた時期もあった。また他の会社でも同種のセミナーを開催して頂き、本業だけでは食べられない新米にとってはあり難いことであった。

セミナーの講師という仕事は、数十人の受講生の方たちの前で、基本的には五〜六時間喋らなければならない。まだ若かったこともあり体力的には苦にならなかったが、どちらかというと喋るのが苦手な私にとっては最初は大変な緊張を強いられる仕事であった。まったくの初めてのセミナーでは簿記の借方、貸方を逆に説明してしまってひんしゅくをかってしまったり、とんちんかんな受け答えをしたりと、恥ずかしい思いでは多くある。その後慣れていくにつれて緊張することはあまりなくなっていったが、人をひきつける話方という点では最後まで未熟なままで終ってしまったように思う。イギリスのどこか

それにしても今から考えると、「よくもまあ、このおれが、あんなテーマでやったもんだ」と冷や汗が出てきそうである。食べていくためには仕事を選ぶぜいたくなど許される状況ではなかった。人間、切羽詰れば何でも出来るものだというのが当時を思い出しての感想である。

北杜夫さんの「どくとるマンボウ青春記」に次のような話が出てくる。戦時中何かの理由でめずらしくトマトが配給になった。北さんはトマトが嫌いで食べられないので、3個のトマトのうち2個を友人にあげてしまった。残った1個に塩をふりかけて口に運ぶと、不思議にもするっと喉をとおった。とたんに友人にトマトをやったのが残念に思えてきたというのである。

自分という人間を人は意外とよく知らないのかもしれない。「私は…だから」という消極的な考え方をせずに、もっと自由に生きていけば、思いがけない人生が待っているかもしれない。反面他人は自分をよく見ているという気もする。外からの意見・アドバイスには謙虚に耳を傾けたい。ただし「どこかのおばさんのひとりごと」は気にしないというのも精神衛生上は必要なことなのかもしれない。

夫からの手紙目次へ