読売新聞の4コマ漫画は「コボちゃん」。たまにお酒を飲まない日はあるが、かかさずに毎日読む。まさに休刊日なしである。ある日の内容は
@愛鳥週間である。おじいさんとコボちゃんが、捕まえてきた虫を子供に与える親鳥を眺めている。
A河原では、白鷺だろうか捕らえた魚を今にも飲み込もうとしている。
B帰り道、コボちゃんはおじいさんに疑問をぶつける。「おかしいよ。かわいそうだよ」。
C二人は区役所の窓口に行き、係員に問いかける。おじいさんは言う。「孫が言うのですが、愛虫週間とか、愛魚週間はないのかと…」
窓口の係員を見つめるコボちゃんの真剣な目がいい。そりゃあそうだよなとでも言いたげなおじいさんも好感が持てる。
笑ってはいけないのか笑うべきなのか、様々なことを考えさせられ、感じさせられ、そしてニヤッとしてしまういい作品ではないかと思った。
登場人物は笑っていないが、こちらは笑えるのである。登場人物は笑わせようという気はない。でも可笑しい。大村昆、藤山寛美、チャップリン等偉大な喜劇役者も笑わそうという気はあっただろうが、その演技はむしろ真剣だった。笑いの素はそのへんにあるのかもしれない。
人は何に「面白さ」を感じるのだろう。意外性、アンバランスそのあたりに何かがあるのではないかという気がする。つまり先ほどのコボちゃんにしても、「トリサンカワイイネ」などというはずだと思っている我々の子供に対する固定観念をあっさりと退け、むしろ私たちが思い至らなかった虫、魚などに対するやさしい気持ちをもち、ひいては何故愛虫週間とか、愛魚週間はないのかと問題提起をする。この驚きが結局私達に上質の笑いを与えてくれるのではないか。
ところで私の高校時代は若者にとってラジオの深夜放送はすごい人気だったが、そこで人気者となったある落語家が上方のその世界の要職に就かれたそうである。ただ私はその方が落語を演じているのをテレビでは拝見したことがない。むしろある長寿番組の司会者としての認識の方がつよい。したがってそんなものなのか、というのが率直な感想である。
考えてみると、先頃参議院議員をやめられた漫才師だとか、どこでどうしているのか不祥事で、ある地方自治体の首長を退かれた漫才師あるいはバラエティ番組でしか顔を見たことのない落語家…結構そういう傾向にあるようだ。
私は、参議院議員とか首長になる前に生き生きと芸の道に精進していたあの二人は好きであったが、その後の彼らの生き方は残念ながら好きにはなれない。それが関西の傾向なのであれば、そんな芸人、タレントたちが束になってかかっていってもこの4コマ漫画にはかなわないのではないか。 やはり私が見たいと思うのは一芸に精進する姿勢が生み出す「真剣な笑い」である。
夫からの手紙目次へ