サラリーマンの落伍者として
ホーム 上へ 明るくなければ…

 

 はっきり言えばサラリーマンの落伍者だろう。私のようなものが大企業のサラリーマンとして生きていけるはずがなかったのだろうと今では素直に納得できる。最初に配属された事業部の営業部ではバリバリの先輩のように「売って売って売りまくるぞ」などとパフォーマンスをすることは到底できなかっただろうと今でも思うし(やっていた先輩も好き好んでやっていたのではあるまいが)、聞くのもあまり好きではなく、鳥肌が立つほうだった。

千里山の噴水の鳩

 出張先の駅で「かくれんぼ」をして嫌がらせをした上司(余程嫌われていたということか)、本社から監査に来た担当者に「オマエナ、ツキヨノバンダケトチガウゾ」と恫喝したという営業課長(どんなことをかくしたかったのか)、質問に行くと「ドコガオカシイチュウンヤ」という顔でにらみつけ威嚇した資材課長、その他大抵の種類の嫌いな人間にお目にかかった(勿論今でもお付き合いして頂ける同僚、上司も多数)。後から考えると、同僚、先輩の彼らに対する接し方には感心した。要するにまずは人間関係を作れということ。まずは「仲良し」になること。そういう面では「明るくない」タイプの私などは、そこで門前払いされたのではないかという気がしないでもない。人間関係、それで仕事がすすんでいく。

 しかしそれが現実であればそれはそれで仕方がない。私などが生き残れる職場ではない。そこで自分を殺して偽りの人生を生きる覚悟を決めれば、ある意味楽なのかもしれないが、棺おけに片足入れるときに後悔したくない、そんな気持ちが走り幅跳びの踏み切り板のステップへの最後の一歩を後押ししてくれた。

散歩の途中で

 退職すると、違った角度からの世間がよく見えた。一時期無収入になった。まわりが皆裕福に見えてうらやましかった。事実そうだったかもしれないが、ある意味ではこんなに素晴らしい満ち足りた人生のひとこまはあの頃だけだったのではないかという気がする面があることも事実である。「要領のよくない生き方の下手な人」、「レールをはずれた人」、「途中で下車したまま戻れない人」…そんな人には結構厳しくて、冷たい社会それが世間の一面だというのが素直な感想であり、そのことを実感できたことは私の人生に間違いなくプラスになったと思う。

 そんななかで私の支えになったのはやはり「家族」であったことは間違いない。夫にとっては妻の打算のないやさしさであり、妻にとっては夫の将来に対する真剣な姿勢でありまなざしであったろう。夕暮れ時一日に疲れた妻と息子がつかの間の眠りにおちているやすらかな寝顔が今も思い出される。

 私とはまったくレベルの違う理由なのではあろうが、息子も現在自分の将来を見据えて考えをめぐらせているようであり、新しいステージへの挑戦を視野に入れているようである。これまで好き勝手で生きてきた父親としてはあくまでも黙って見守ることしか選択の余地はないのかも知れない。

夫からの手紙目次へ