年が明けるとあっという間に所得税の確定申告の時期がやって来る。私のようにお客様の少ない者にとっても、さすがに多忙な時期である。2月の中旬から3月中旬にかけての1ヶ月は本当に猫の手も借りたいほどの状況である。そしてその期間中に三日間、申告相談の応援に従事することとなっている。一日あたりいくらかの手当が出て、税理士会の会費のたしにしている。
所属する支部からの会報が届き、申告相談の応援は社会的使命であるのでご協力をという旨が書かれている。その会報に、ある税理士の方が投稿していた記事に魅かれた。
ある年金生活者の方が数枚の領収書を差し出して、「寄付金控除」をしてくださいと仰った。見るとすべて災害の義援金の領収書であったらしい。厚生年金の収入しかないので多額の寄付はできないが、全災害について最低1万円の寄付をされたということだったらしい。
二人の子供を連れた三十歳代の女性がご主人の源泉徴収票と医療費の領収書を持参して、「医療費控除」をお願いしますと仰った。見ると、給与の年間支給額はかなり少なく、源泉徴収税額はゼロであり、扶養親族欄を見ると扶養している子供さんの数も多かった。しかし源泉徴収税額がゼロという状況ではいかに医療費が多額であったとしても、還付はゼロであることを説明して納得してもらったという。
その税理士さんはその年金生活者の方の行為に、これほど心を打たれたことはないと感動され、三十代の女性が気の毒に思えてならなかったという。どちらも心に響いてくる話であるし、その税理士さんの感性に共感をおぼえるものである。天は人にある面での不公平な能力の差を与えたように見えることもあり、経済的な勝ち組と負け組という言葉が生まれて久しい。しかし人の世は果たして経済がすべてなのだろうか。どうもそのあたりが勘違いされているし、勘違いしているように思えてならない。本当に社会を支えているのは果たしてどちらなのだろうか。
終生忘れないといったら大袈裟と思われるかもしれないが、紅白歌合戦などでよくトリを務める有名男性演歌歌手の脱税疑惑がそう遠く無い過去にあった。世間も某放送局も忘れたか知らないが、仕事柄私は忘れない。歌がうまかろうと潔く世間に詫びるというけじめをつけなかった彼も某放送局をも私は心情的に許しがたいのである。歌がうまかろうと生き方とは無関係である。いやそんな人に演歌など歌って頂きたくはない。お金に汲々とする結果になったとしても、あの年金生活者やけん命に生きる庶民のように、誠実に日々を生きる人達の一人でありたいと思うと私が言うのは
自己欺瞞だろうか。。