帰省
ホーム 上へ ブランド妄信の苦い結末

 

 私の出身地は香川県、瀬戸大橋を渡り切ったあたりの小さな町である。高校時代までそこで過ごした後、大阪のある大学に進学した。そういう場合は下宿生活を送り、休みには帰省するというのが一般的な学生の姿だったろう。ところが父母が程なく大阪に出てきてしまったのである。元々父は大阪で電蓄(一昔前のステレオ?)のケースの製造販売を行っていたので、大阪に帰るという感覚だったのかもしれないし、二人だけになり寂しかったのかもしれない。夕陽のあたる場所、ここで飲みます。

 というわけで、またもや父母と同居して、そこから大学に通うということになり、何ら高校時代と変わりの無い何とも「不自由な」状況に逆戻りしてしまった。バスをパスと言い、アパートのことをアバートと言う、明治生まれの父母との同居である。正直、面白いはずが無い。兄や姉はすでに自分達の所帯を構えており、我関せず。お金の心配が無いとはいえ、自由な学生生活を送る高校時代の友人の下宿に行くと、羨ましくてたまらなかった。

 夏休みや冬休みには彼らは四国に帰省するが、私は帰省する必要がない。あるいは帰省すべき家が四国にはもう無いのである。このちょっと妙な状況は経験しないとわからないかも知れない。幸いなことに当時まだ四国には叔母が一人で住んでいたので、ある年の正月に「帰った」ことがある。しかしそれはやはり帰省という感覚ではなく、むしろ「どこか遠くの知らない町に」というような寂しい思いで、昔住んだ町を歩いたのを覚えている。いわば故郷を異邦人として彷徨っているに等しい思いだった。

 今年の帰省のピークは30日あたりだそうだ。そういう光景をニュースで見ると年の瀬だなあという気がする。小さな子供を連れての帰省は大変だろう。経済的な負担もかなりのものである。我家の場合結婚してから、毎年妻の実家に帰省しているが、幸いなことに渋滞に巻き込まれることはないし、車で走って2時間という近さなので楽をさせてもらっている。しかし そういうニュースを目にするたびに、一度でいいからと思ってしまう。新大阪駅の混雑の中、家族で新幹線に乗って、まだ瀬戸大橋が開通していない頃、宇高連絡船(岡山県宇野と香川県高松を結ぶ)で父母の待つ四国の実家に帰ってみたかった 。

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