ある秋の夜
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 気がつくと誰もいない。日本酒をちびりちびりと飲んでいて、うたた寝をしたようだ。時計の音だけが聞こえる。妻は寝室でテレビ を見ながらブログの下書きか(この才能だけはまねできない)、息子は自室で間近に迫ったある試験の準備に没頭しているらしい。昼間も比較的静かなのだが、夜になるとほとんど無音である。パソコンは1階の事務所に置いているので、お気に入りのブログ、HPを見るときは独酌セット(お酒の入った湯呑、ピーナッツの入ったガラス瓶、その時々のつまみ)をお盆に載せて移動する。もっとも家では常に独酌。 気ままといえばそうも言える。お酒は湯呑で呑みます。

 最近は夕食時に缶ビールを一缶か二缶、ご飯はごく少量にして、続いて地酒を湯呑に注いで、電子レンジで温める。一杯で約0.65合、これをどう計算間違いするのか0.5合としてカウントする。最近は弱くなったのか三杯目あたりで眠くなってくる。 その頃にはもう何杯目なのか定かではない。若い頃と違って、少しずつゆっくり味わうように飲むので時間がかかるが、そのほうが身体にはいいと思っている。飲んだ量と酔い方が一致しているのだと思う。剣道で言う気剣体の一致 とはこの境地か?…私の場合、気・燗・体の一致?!

 居間に置いた書棚には文庫本を主にして、お気に入りの本が並んでいるので、しばしどれを今夜の友とするかを考える。難しい本は絶対読まない、何せ酒の友なのだから。ということで大抵は数ページで話題が変わるエッセイ集を選ぶ。中野孝次、向田邦子、吉田健一、山本夏彦などをとっかえひっかえ読んでいる。とくに中野孝次氏の本からは沢山の人たちを教えて頂いた。良寛、兼好、道元、蕪村等々それぞれの方たちの生き方、考え方に触れさせて頂いた。

 勿論分かるわけがない。言ってみればその気になって雰囲気を楽しんでいるだけである。けれどもたとえば蕪村の句を中野孝次氏の解説で味わいながら飲むお酒は私に極上の時を与えてくれるし、向田邦子氏のエッセイは古きよき時代の昭和を思い出させてくれる。吉田健一氏の「酒に呑まれた頭」など読むと、もう休肝日など、どこかに飛んでいってしまう。つまりこれが私のお酒の飲み方であり、秋の夜の過ごし方なのである。 皆様方は、どんな秋の夜をお過ごしでしょうか。一人静かに過ごされている方に、吉田兼好の徒然草にある有名な一節をお送りしたいと思います。

 「つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ。」

 

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