さすがシオジイ
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 塩爺こと塩川正十郎さんが読売新聞のコラムで「この二つを皆が大切にしたら、世の中は変わっていきますよ」と仰ったものがある。それは慈悲と武士道である。

 慈悲。辞書を引くと仏教用語であることが分かるが、二番目に書かれていた“いつくしみあわれむ心”が分かりやすい。“いつくしむ”とは愛情を持って大切にする。そして“あわれむ”とは不憫に思う、同情するということである。武士道。礼を尽くす、礼儀というものを思う、克己心を持つ、そういうものであると塩川氏は言う。

郡上八幡の街で見かけたお地蔵様

 慈悲の心とは他者に対する心の持ち方であり、他者の痛みが分かる心であろう。それに対して武士道において礼節を重んじ、克己心を持って事に当たるというのは、常に自らを厳しく律するということであろう。平たく言えば人に優しく自分に厳しくということである。皆がこの二つの心構えをベースに持つことができれば、どれだけ生きやすくなるだろう。そして世の中には沢山の有能な人たちがいるが、その能力が世の中で役立つためにはこの二つの心構えがベースとして必要で はないか。有能さだけでは無能である。慈悲の心と武士道を基礎に持たない才能はときとして危険だとも思える。

 慈悲の心と武士道を基礎に持たないという意味では現代の大企業もしくは企業社会も同じようなものである。そして現代社会において大企業の持つ力はあまりにも大きい。それだけに、昨今何かと話題を提供してくれるIT寵児達の行動には既存の枠組みを解体して新しい何かを創り出してくれるのではないかと期待する半面、何かを忘れてきた単なる有能さだけの行動であって欲しくないと思ってしまう。

 いずれにせよ様々な分野における有能さは持って生まれた資質という側面が強いが、「慈悲と武士道」、これらは意識すれば到達できるものである。仕事でも日常生活でも、塩川氏の仰る「慈悲と武士道」この二つを意識して、バランスのとれた人間を目指していけば、きっと何かが変わってくるのではないか、そんないい話をお聞きした気がする。さすがシオジイ。

 

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 追伸:先週更新予定だった「近江路漫遊記」は先をこされたためボツとなりました。

  妻と分く 栗きんつばや 空澄みて          凡人