プロ野球の阪神タイガースがセントラルリーグの公式戦を制した。誤解のないようにまず申し上げておきたいが、私は数年前からプロ野球については何処のチームのファンでもない
。そして優勝が決まったその夜の大阪の街はいたるところで大賑わいであったらしい。大阪府●●市にあるわが家も少なからずその影響を受け
てしまい、優勝の決まる頃に帰宅した息子は妻とともに大はしゃぎであった。巨人ファンに育てようと考えたことはないのだが、かといって阪神ファンに育てた覚えもない。それにしてもこの熱狂、阪神ファンでないものにとってはどことなく違和感を覚えるし、一種のこわさを感じてしまうので
はないだろうか。
昔、甲子園球場近くにあるメーカーの経営者と話をしているときに、プロ野球はどのチームのファンですかと聞かれた。当時はそうだったのだが、ジャイアンツのファンですと答えると、その方の表情が一瞬こわばったように見えた。それ以来
その方とプロ野球の話はしなかったが、仕事の話をすることもなかった。何もそんなことが原因でそこの仕事が無くなったとも思わないが、
その後その会社の仕事がなくなったのは事実である。関西で商売をする場合阪神ファンであるかどうかなどという選択肢があるのだろうか、阪神ファンと答えなければまず繁盛はおろか生き残ることすら難しいのではないだろうか
というのが私の見方である。
とするならば逆に、隠れキリシタンのように内心を隠して阪神ファンを装っておられる方は意外と多いのではないだろうか。「平家にあらずんば人にあらず」、大阪は今阪神ファンでなければ、あきれた顔をして見られても不思議ではない。阪神ファンで無ければ会話に参加できそうも無いという雰囲気を感じ
てしまう。まるで「大阪人」であるための通行手形であり、免罪符であるかの如しである。一体この事態は何なのだろうか。
つまり、阪神ファンであれば安心という意識があるのではないかという気がする。仲間はずれになることも無いし、それほどの努力も無く比較的安易に感動を共有できる。
それは居心地がいいのではないか。しかしそういう感動に充実感はあるのだろうか。群れたがるのは好きでない。皆が阪神になびくのならば、一歩も二歩も距離を置く変わり者でいたいと思っている。理屈の不要な嗜好の世界につまらぬことを言う人間は嫌われるのは分かっているが、やはり言うべきであろうと思う。皆が皆阪神ファンでどうするのか。「長いものには巻かれないぞ」。
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