こどもらと手まりつきつつこの里に遊ぶ春日はくれずともよし
江戸時代の僧、良寛の歌である。現代の我々が良寛という人に抱くイメージに最もふさわしい歌であろう。麗らかな春が来て、暖かい日差しの中で遊ぶこどもたちとともに良寛も一緒になって戯れている。そんな嬉しい日はいっそのこと暮れないでいてくれたらよいのに。そんな気持ちが伝わってくる。
霞立つ永き春日に鶯の鳴く聲きけば心は和ぎぬ
暖かくなり霞が立っている、そんな春の日鶯までがきれいな鳴声を聴かせてくれる。もうそれだけで私の心は穏やかになる。どちらの歌にも春が来た喜びが溢れていて、私のような和歌の門外漢でも暗誦してうたえば心を平穏にさせてくれる。しかしこの歌をより味わい深いものにしてくれる次のような歌がある。
埋み火に足さしくべて臥せれどもこよひの寒さ腹にとおりぬ
良寛が住んだ五合庵という住居は越後にあり、その冬の寒さは相当厳しかったらしい。暖衣飽食に慣れた我々では到底我慢できないような環境下にいたものと思われる。ときには空腹に耐えながら寝なければならないときもあったであろう。そんなときにはこの歌のようにいくら火の気に足を近づけても寒気には勝てなかったに違いない。この厳しい冬をとおり抜けてのはじめの二首である。「風の良寛」(集英社:中野孝次)を読み進むにつれて、良寛の実像が次第に自分に近づいてくる。
良寛は越後出雲崎の名主の家に生まれながら、家を継がずに出家する。22歳から20年近い年月、備中玉島の円通寺という禅寺で修行を行った後、どこかの寺の住職になるという安定志向を棄てて越後に戻っている。そしてここでも「乞食僧」という道を選択している。それは社会の中における位置を失うことと同義である。しかし良寛の修行の落ち着く先はそのような生き方しか考えられなかったのであろう。次の漢詩が私を引き付ける
。

我が生 何処より来り わがせい いずこよりきたり
去って 何処にか之く さって いずこにかゆく
独り 蓬窓の下に座し ひとり ほうそうのもとにざし
兀々 静かに尋思す ごづごつ しずかにじんしす
尋思するも始めを知らず じんしするもはじめをしらず
焉んぞ能く其の終りを知らん いずくんぞ よくそ
現在 亦復然り げんざい またまたしかり
展転 総て 是れ空 てんてん すべて これくう
空中に且く 我有り くうちゅうにしばらく われあり
況に是と非とあらんや ここにぜとひとあらんや
些子を容るるを知らず さじを いるるを しらず
縁に随いて且に従容 えんに したがいて まさにしょうよう
… ひとり静かに考えてみても、「自分という存在」という不思議なものの正体は分からない。考えてみるといつから始まりいつ終わるのかそれも結局のところ分からないようなものである。現在いまここ、この瞬間ということさえ空といってもいいのかもしれない。そんな空のなかに自分という存在はしばらく在るだけなのだろうと思う。だったらああだこうだと悩まずにゆったりと縁に任せていけばいい。大方そんな解釈をしてみると(中野孝次氏の素晴らしい解説をベースにして)、良寛さんが横に座って私に語りかけてくれるような気がする。「皆そうなんだよ。答えの出ない悩みもあるんだよ。元気出せよ。」良寛さんは確かにあるとき上記の詩の心をもって存在した、それだけで何か救われる気がする。